砲艦 鳥羽

GunBoat "Toba"


鳥羽
砲艦「鳥羽」(1911年)
スペックデータ
排水量:(基)215t ボイラー:イ号艦本式罐・石炭専焼×2基 燃料搭載量:石炭 81t
全長:54.86m
全幅:8.23m 主機:直立型往復動蒸気機関(2気筒2段膨張式)×3基、3軸推進
吃水:0.80m
出力:1,400hp
武装:
短7.6cm単装高角砲2基
(後に25mm機関砲2基を追加した)
最大速力:16.0kt
航続距離:不明
乗員定数:59名

同型艦名(1隻)
鳥羽"Toba"

砲艦 鳥羽について
 英国に発注建造した「隅田」「伏見」の設計と運用実績を参考にして国産された河川用砲艦。
 清国の政情不安を受け河川用砲艦の増強に迫られたために建造期間は非常に短く、船体工事と艤装工事が並行して進められたので起工から進水までが3ヶ月、進水から竣工までに至っては10日という驚異的なスピードで建造されている。竣工後に武装や固定装備を外され浮きドックに入れたまま巡洋艦「笠置」が曳航して上海に運び、ただちに就役した。
 「隅田」や「伏見」では難所である長江三峡を航行するのに機関出力が不足していたため、本艦では出力が増強されている。
 第一次世界大戦では緒戦のうちは「隅田」「伏見」と同様、中華民国に抑留されていたが後に抑留解除され参戦。上海事変以降は火力増強され太平洋戦争中も使用された。
 太平洋戦争敗戦後は中華民国が接収、国府軍軍艦「永済」(ヨン・ジー)[Yong-Ji]と命名され、後に中共軍所属「湘江」(シャン・ジャン)[Xiang-Jiang]となったが以後の詳細は不明である。

砲艦 鳥羽の歴史
「鳥羽」「鳥羽」=現在の京都市南部の一地名である鳥羽から取った名称
西国街道の出発点で、幕末の鳥羽伏見の戦いでの戦場としても有名
1911年 7月 7日佐世保工廠にて起工
      11月 7日進水
      11月17日竣工。二等砲艦に類別。上海へ曳航
1914年第一次世界大戦勃発。中立国の中華民国に抑留される
後に中華民国が参戦したため抑留解除。大戦に参戦
1931年 6月 1日等級廃止により砲艦へ類別
1941年12月〜太平洋戦争に参加。開戦初日に英砲艦「ペトレル」を撃沈(他艦と共同)
1945年 8月15日上海にて航行不能の状態で終戦を迎え、中華民国に接収され「永済」と命名される
       9月30日除籍
1948年 4月17日湖北省郝穴にて中共軍との戦闘を行い戦果を挙げる
この戦果をたたえて、後に艦名を「郝穴」(ハオ・シュエ)[Hao-Xue]と改名する
1949年11月29日中共軍へ投降。後に人民解放軍へ編入され艦名を「湘江」と改名
1960年代退役する


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