砲艦 千代田(初代)

GunBoat "Tiyoda(1)"


千代田
砲艦「千代田形」(1880年頃)
スペックデータ
排水量:(常)158t ボイラー:不明 燃料搭載量:石炭 搭載量不明
全長:29.7m
全幅: 4.8m 主機:クルップ式蒸気機関、内車輪式推進
吃水:2.0m
出力:60hp
武装:
30ポンド砲3基(1基または2基という説もある)
最大速力:5.0kt(機走時)
航続距離:不明
乗員定数:35名

同型艦名(1隻)
千代田(初代)"Tiyoda(1)"

砲艦 千代田(初代)について
 江戸幕府が建造した国産第一号の軍艦。海防強化のため軍艦奉行井上美濃守に命じて建造されたもので、正式な艦名は「千代田形」と言った。艦名に形(型では無い点に注意)が付くのはこの艦を元に同型艦を多数製造する計画であったためである。
 文久三年(1863年)に進水したものの、技術者のオランダ留学や機器買い付けのため工事は一時中断し、竣工したのは進水から3年後の慶応二年(1866年)だった。二檣スクーナー形の木造砲艦で、基本的には帆走を主としていたが蒸気内車輪式機関を搭載していたため補助的な機走も可能となっていた。
 明治維新時の動乱に際しては榎本武揚率いる艦隊にあり、東北方面などで数次の海戦を行い生き延びていたが明治2年4月29日(旧暦)、箱館湾で暗夜に座礁したところを官軍に捕獲され、後に国軍へ編入となった。
 明治二十一年に除籍されるまでは兵学校の練習船などに使用されており、後に日本海軍を背負って立つことになる名将達もこの艦で学び巣立っていったのである。

砲艦 千代田(初代)の歴史
「千代田」(初代)「千代田」=江戸城(現在の皇居)の美称である
1862年 6月 4日(旧暦文久2年5月7日)幕府の石川島造船所にて起工
1863年8月15日(旧暦文久3年7月2日)進水
1866年6月(旧暦慶応2年5月)竣工
1868年〜(旧暦明治元年)戊辰戦争に際して旧幕府軍の艦隊に所属し官軍と交戦
      10月 4日(旧暦明治元年8月19日)榎本武揚に率いられ品川沖を脱出
      12月24日(旧暦明治元年11月11日)(庄内藩飛島を経由して)箱館港に入港
1869年 6月 4日(旧暦明治2年4月24日)箱館湾にて新政府軍艦隊と交戦
       6月 9日(旧暦明治2年4月29日)箱館湾にて座礁し行動不能。乗員は砲を破壊後に脱出
       6月10日(旧暦明治2年4月30日)新政府軍により船体を捕獲される
       6月13日(旧暦明治2年5月4日)
新政府軍へ編入。その後は兵学校(兵学寮)の練習艦などに使用される
1870年 8月24日〜(旧暦明治3年7月28日)横浜港警備の小艦隊に配属となる
1872年 4月 5日(旧暦明治5年2月28日)海軍省へ移管。海軍籍へ編入
1888年 1月28日除籍。千葉県に移管される
 千葉県から日本水産会社へ貸与。汽船「千代田丸」と改名


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