通報艦 千早(2代)

Scout Ship "Tihaya(2)"


千早
通報艦「千早」(1906年頃)
スペックデータ
排水量:(常)1,263t ボイラー:ノルマン罐・石炭専焼×4基 燃料搭載量:石炭 344t
全長:83.80m
全幅:9.64m 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:2.99m
出力:6,000hp
武装:
40口径12cm単装砲2基、40口径7.6cm単装砲4基、
45cm魚雷発射管2門
最大速力:21.0kt
航続距離:不明
乗員定数:167名

同型艦名(1隻)
千早(2代)"Tihaya(2)"

通報艦 千早(2代)について
 日清戦争後の海軍拡張計画にて計画建造された通報艦。日露戦争では本来の目的どおりに通報艦として使用され、日本海海戦では大破炎上しながらもロシア艦隊旗艦「クニャージ・スワロフ」[Княэь Суворов (Kniaz Suvorov、Suvarovと記述することもある)]へ魚雷を命中させるなどの戦果も挙げている。
 日露戦争後は無線電信の発展から通報艦自体の役目が不要となったので砲艦に類別され、その後も第一次大戦では南洋諸島の警備、シベリア出兵では沿海州の警備に従事し、関東大震災の際には救難任務にも従事している。
 昭和3年(1928年)に除籍された後は、兵学校の練習船として昭和14年まで使用されている。

通報艦 千早(2代)の歴史
「千早」(2代)「千早」=和歌で「神」「社」「人」などにかかる枕詞「ちはやぶる」から取った名称
語源は「いちはやふる」で、勢いが強く勇猛な様を指す
1898年 5月 7日横須賀工廠にて起工
1900年 5月26日進水
1901年 9月 9日竣工
1904年第二艦隊に所属し日露戦争に参加
1905年 5月27日日本海海戦に参加。ロシア艦隊の砲撃を受け大破
1906年〜朝鮮・中国沿岸の警備任務に従事
1912年 8月28日一等砲艦へ類別変更
1914年〜第一次世界大戦に参加。1916年頃には南洋諸島の警備任務に従事
1918年〜シベリア出兵に参加。沿海州沿岸部の警備任務に従事
1923年 9月関東大震災に際し救援任務に従事
1924年頃〜横須賀海兵団の練習艦となる
1928年 5月〜横須賀工廠にて練習艦としての設備工事を実施(完了は同年10月)
       9月 1日除籍。雑役船(練習船)に類別
1939年 7月25日廃船。後に売却処分


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