砲艦 第一丁卯/第二丁卯

GunBoat "Daiiti Teibou" & "Daini Teibou"


第二丁卯
砲艦「第二丁卯」(1880年頃)
スペックデータ
排水量:(基)236t ボイラー:(詳細不明)石炭専焼 燃料搭載量:石炭 搭載量不明
全長:36.6m
全幅:6.4m 主機:(詳細不明)レシプロ機関×1基、1軸推進
吃水:2.3m
出力:60hp
武装:
口径不明の砲6門搭載(第二丁卯は8門搭載)
(資料によっては両艦とも15cm砲1基、14cm砲1基とするものもある)
最大速力:5.0kt(機走時)
航続距離:不明
乗員定数:不明

同型艦名(2隻)
第一丁卯"Daiiti Teibou"[Daiiti Teibô]第二丁卯"Daini Teibou"[Daini Teibô]

砲艦 第一丁卯/第二丁卯について

 通常、同型艦はネームシップ(基本的には建造順の1番艦)に「型」をつけて一括りとしているが、当艦は各種資料でもそれぞれの名称で表される事が多いため当サイトでは「型」で括らなかった。同じ年に建造された同名(建造年が艦名であるため)の艦を区別するために、それぞれ『第一』『第二』を冠しているようだ。
 長州藩が慶応二年(1866年)にイギリスへ発注した軍艦で、明治元年(1868年)に日本へ回航されたものであるが、廃藩に伴い明治政府へ献納となった(英国で売却用に建造された艦を1868年に長州藩が購入したとの説もある)。
 「第一丁卯」は明治維新に際して官軍艦隊の一艦として榎本艦隊の追撃を行っており、また「第二丁卯」も明治八年の江華島事件に際して釜山へ派遣されるなど、両艦とも軍艦としてそれなりの戦歴を踏んでいる。しかしその最後はどちらも座礁沈没という不運なものであった。

 なお、Wikipediaの説明によると明治4年10月28日(新暦では1871年12月10日)に兵部省の海軍規則が定められ、その翌月に当艦は規則にある等級にしたがい六等級に分類されたとある(諸軍艦の等級のうち六等級は『50馬力以上および30名以上乗組』とされている)。

砲艦 第一丁卯/第二丁卯の歴史
「第一丁卯」「第一丁卯」=丁卯は建造年の十干十二支を表す
長州藩の艦にはよく見られる命名法である
1866年長州藩軍艦として英国ロンドンで起工。仮称「ベンダ」(「ヒンダ」とする説もある)
1868年竣工後、日本へ回航。「第一丁卯丸」と命名
       3月13日〜(旧暦慶応4年2月20日)新政府軍に徴発され、榎本艦隊の追撃に参加
       7月(旧暦5月)寺泊沖海戦に参加
1869年 5月20日〜(旧暦明治2年4月9日〜)箱館湾海戦に参加
1870年 6月 6日(旧暦明治3年5月8日)明治政府へ献納。海軍籍に編入、「第一丁卯艦」と改名
1875年 8月 9日北海密漁取締中に択捉島にて座礁沈没
「第二丁卯」「第二丁卯」=同年中に建造された艦が複数有るので
第一、第二としたと思われる
1866年長州藩軍艦としてイギリスで起工。仮称「アソンタ」
1868年竣工後、日本へ回航。「第二丁卯丸」と命名
1870年 6月 6日(旧暦明治3年5月8日)明治政府へ献納。海軍籍に編入、「第二丁卯艦」と改名
1872年〜(明治5年〜)主に測量任務に従事する
1875年江華島事件に際し、邦人保護のため釜山へ派遣される
1877年西南戦争に参加。下関の警備や日奈久攻略などに従事
1885年 4月 3日三重県安乗崎で座礁沈没


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