通報艦 龍田(初代)

Scout Ship "Tatuta(1)"


龍田

龍田
通報艦「龍田」(上段:1900年頃、機関換装前の姿)/(下段:1908年、機関換装後の姿)
スペックデータ(竣工時)
排水量:(常)868t ボイラー:円罐・石炭専焼×4基 燃料搭載量:石炭 152t
全長:73.15m
全幅:8.38m 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:2.90m
出力:5,060hp
武装:
40口径12cm単装砲2基、47mm単装砲4基、
45cm魚雷発射管5門
最大速力:21.0kt
航続距離:不明
乗員定数:107名

同型艦名(1隻)
龍田(初代)"Tatuta(1)"

通報艦 龍田(初代)について
 「八重山」に続く通報艦としてフランスに発注建造された艦に「千島」がある(「千島」は水雷砲艦の項に掲載している)。しかし「千島」は完成後に日本へ回航される際、神戸入港を目前にして衝突事故により沈没してしまった。次いで英国で建造された当艦「龍田」も水雷砲艦的要素が強く、就役当初は水雷砲艦と呼ばれたが後に通報艦へ類別されている。
 日清戦争が開戦したために建造が急ピッチで進められ、英国で引き渡し後は即日出港して日本へ向かったが、英国が中立国であったためにアデンにて英国政府に抑留され戦争に参加できなかった。この事件は戦後無理をしてでも艦艇の国産化を進めるよう日本政府が実行するきっかけとなった。
 「八重山」と同様に当艦もボイラーの換装を行っており、円罐から水管罐となっている。このため煙突は一本から三本に増えており、「八重山」よりもシルエットの変わり具合が大きい。

通報艦 龍田(初代)の歴史
「龍田」(初代)「龍田」=大阪の生駒川を上流に持ち、下流では大和川と
合流して流れる龍田川から取った名称
1893年 4月 7日英国アームストロング社にて起工
1894年 4月 6日進水
       7月31日竣工。日本へ向けて英国を出発
       8月28日途中寄港したアデン港にて英政府に抑留される
1895年 1月20日抑留解除。同年3月19日横須賀へ到着
1898年 3月21日類別標準制定により通報艦に類別
1900年北清事変(義和団の乱)勃発のため沿岸警備に従事
1902年呉工廠にてボイラー換装工事を実施(完了は翌年)
1904年〜第一艦隊に所属し日露戦争に参加
       5月15日沈没した戦艦「八島」「初瀬」乗員の救助中、濃霧のため座礁
       7月〜横須賀工廠にて修理を実施(完了は8月末)
1905年 5月27日日本海海戦に参加。ロシア艦隊の砲撃により大破。戦後に修理を実施
1912年 8月28日一等砲艦に類別
1916年 4月 1日除籍
      12月 9日雑役船(潜水艇母船)に類別。「長浦丸」と改名
1920年 7月 1日艦籍に再編入。特務艇(潜水艦母艇)に類別。「長浦」と改名
1925年12月15日(26年3月12日説あり)除籍。後に売却処分


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