砲艦 多多良

GunBoat "Tatara"
(USS Wake(PR-3))



多多良
砲艦「多々良」(1942年頃)
スペックデータ
排水量:(基)370t ボイラー:ソーニクロフト罐・重油専焼×2基 燃料搭載量:重油75t
全長:45.80m
全幅:8.20m 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:1.60m
出力:1,950hp
武装:
7.6cm単装高角砲2基、25mm連装機銃1基、25mm単装機銃1基、
13mm連装機銃1基、13mm単装機銃1基
最大速力:12.5kt
航続距離:不明
乗員定数:56名

同型艦名(1隻)
多多良"Tatara"

砲艦 多多良について
 元は米国海軍砲艦「ウェーキ」[USS Wake(PR-3)]で、太平洋戦争開戦直後に上海にて日本海軍の降伏勧告を受けて降伏、日本海軍に捕獲された艦である。
 もともと上海には米国も砲艦隊を駐在させていたが、開戦直前に艦隊はフィリピンに移動しており、この「ウェーキ」だけが連絡担当艦として上海に残っていた。同時に英国の砲艦「ペトレル」[HMS Petrel]にも降伏勧告を行ったが、こちらは降伏を拒否したため撃沈されている。
 日本海軍は「ウェーキ」を捕獲した後「多多良」と銘々して艦籍に編入、無傷のまま捕獲できたため短期間の整備で艦隊へ編入された。日本海軍では支那方面艦隊に所属し、昭和19年の華南沿岸都市攻略作戦では海上から作戦に協力した。終戦時は航行可能状態で上海にあり、中華民国に捕獲され国府軍へ編入されている。

砲艦 多多良の歴史
「多多良」「多多良」=福岡県の北東部に位置する多多良浜から取った名称
1281年に元寇を迎え撃った戦場として有名である
1927年上海・江南造船所にて起工
       5月28日進水
      12月28日米砲艦「グアム」[Guam](PG-43)として竣工
1928年 7月15日河川砲艦(PR-3)に類別変更。1941年初頭に艦名を「ウェーキ」と改名
1941年12月 8日太平洋戦争開戦。日本海軍上海方面根拠地隊の降伏勧告を受け入れ、降伏
      12月15日日本海軍艦籍に編入。砲艦「多多良」と命名
支那方面艦隊上海根拠地隊へ編入
1942年 1月26日整備完了。上海方面の警備任務などに従事
1942年 3月25日米海軍籍除籍
1944年秋華南沿岸都市攻略作戦に参加
      10月10日砲艦「鳴海」とともに第24砲艦隊を編成
1945年 8月15日上海にて終戦を迎える
       9月30日除籍。中華民国に捕獲され国府軍軍艦「太原」(タイ・ユァン)[Tai-Yuan]と命名
1949年頃中共軍へ投降。人民軍海軍所属となるが以降の消息不明


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