第19号型 掃海艇

"No.19" Class Fleet Mine Sweeper


第29号
第29号掃海艇(1943年)
スペックデータ
排水量:(公)755t ボイラー:ロ号艦本式罐・石炭重油混焼×2基 燃料搭載量:石炭 105t
        重油  40t
全長:67.30m
全幅:7.85m 主機:艦本式オールギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:2.61m
出力:3,850hp
武装:
45口径12cm単装砲3基、25mm連装機銃1基
爆雷36発
最大速力:20.0kt
航続距離:14ktで2000浬
乗員定数:105名

同型艦名(17隻)
第19号"No.19"第20号"No.20"第21号"No.21"第22号"No.22"第23号"No.23"
第24号"No.24"第25号"No.25"第26号"No.26"第27号"No.27"第28号"No.28"
第29号"No.29"第30号"No.30"第33号"No.33"第34号"No.34"第38号"No.38"
第39号"No.39"第41号"No.41"   

第19号型掃海艇について
 「第7号」(3代)型掃海艇に引き続き建造された掃海艇。マル4計画(第四次補充計画)とマル急計画(戦時急造計画)により建造された。「第7号」型より若干排水量が増加したものの、艦の設計は準同型艦といって良いほど似通ったものである。
 日本海軍の掃海艇のうち最も多数製造された艦であるが、実際に掃海任務に従事することはほとんど無く、主に船団護衛に従事することが多かった。これは当艦が戦線に出ていった頃には日本海軍が進攻を行うことよりも防戦することへ戦局が推移していたためである(進攻に際しては敵が敷設した機雷を除去する必要があるが、防戦となれば艦隊型掃海艇が機雷掃海行うことは無くなる。沿岸部の掃海は漁船形式で小型の掃海特務艇の仕事である)。
 17隻が建造された姉妹艦のうち、終戦まで生き残ることができたのは2隻のみであった。

注意!「この型は同型艦が多いため他のページとは年表の形が異なります。年月日は総て西暦表示です。」
第19号型掃海艇の歴史
艦番竣工沈没場所・沈没原因除籍備考
19'41. 5.31'41.12.10ルソン島カガヤン河口にて敵機の攻撃を受け大破擱座'45.11.30 
20'41.12.15'45. 5. 5黄海黒山島西方にて米潜「トリパング」の雷撃を受け沈没'45.05.25 
21'42 .6.30−−−青島にて終戦を迎える'45.10.25復員船として使用される
'47.10.01米国へ引き渡し
22'42. 7.31'44.11.11パラオ諸島近海にて敵機の攻撃を受け沈没'45.01.10 
23'43. 3.31−−−大湊にて終戦を迎える'45.11.30'45.12.1掃海艦に類別
'47.10.03ソ連へ引き渡し
24'43. 1.25'45. 7.15津軽海峡にて敵機の攻撃を受け沈没'45.09.10 
25'43. 4.30'44. 7. 4父島二見港にて敵機の攻撃を受け沈没'44.09.10 
26'43. 3.31'44. 2.17ラバウルにて敵機の攻撃を受け大破着底'44.04.30 
27'43. 7.31'45. 7.10岩手県山田港外にて米潜「ランナー」の雷撃を受け沈没'45.09.15 
28'43. 6.28'44. 8.29スマトラ沖にて米潜「ジャック」の雷撃を受け沈没'44.10.10 
29'43.10.22'45. 5. 7下関彦島灯台付近で触雷、沈没'45.08.10 
30'44. 2. 5'44.11.11オルモック港にて敵機の攻撃を受け沈没'45.01.10 
33'43. 7.31'45. 8. 9宮城県女川港外にて敵機の攻撃を受け沈没'45.09.15 
34'44. 5.29'45. 5.21ジャワ海東部にて米潜「チャブ」の雷撃を受け沈没'45.06.10 
38'44. 6.10'44.11.19バシー海峡西方にて米潜「アトゥル」の雷撃を受け沈没'45.03.10 
39'44. 5.27'45. 7.20黄海西草島付近で米潜「スレッドフィン」の雷撃を受け沈没'45.09.15 
41'44. 7.17'45. 1. 4海南島にて敵機の攻撃を受け大破擱座'45.09.15 


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