第101号型 掃海艇

"No.101" Class Fleet Mine Sweeper (ex "HMS Taitam" & "HMS Waglan")


第102号

HMS Cromer
(上段)第102号掃海艇(1944年)/(下段)姉妹艇の英掃海艇「クローマー」(1942年)(Photo from Wikimedia Commons)
スペックデータ
排水量:(公)755t ボイラー:ホ号艦本式罐・重油専焼×2基 燃料搭載量:重油 搭載量不明
全長:52.30m
全幅:8.70m 主機:六型(直立型)往復動蒸気機関(3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:2.51m
出力:1,975hp
武装:
40口径8cm単装高角砲1基(後に12cm単装高角砲1基に換装)、
25mm連装機銃2基(後に同単装機銃を増設)、
爆雷36発(投射機1基)
最大速力:15.7kt
航続距離:最大速力で1900浬
乗員定数:不明

同型艦名(2隻)
第101号"No.101"第102号"No.102"

第101号型掃海艇について
 元はイギリス海軍のバンガー型掃海艇の姉妹艇で、旧艇名を「タイタム」[Taitam](第101号)と「ワグラン」[Waglan](第102号)といった。バンガー型掃海艇は第二次大戦開戦直後の1939年9月から建造が始まった掃海艇で、イギリス海軍だけでなく、カナダ海軍やインド海軍でも使用され59隻の姉妹艇が建造されている。ただし姉妹艇といっても搭載機関はディーゼル、タービン、レシプロと三種類あったため、資料によっては搭載機関で分けられている場合もある。建造はイギリス本国だけでなくカナダや香港の造船所でも行われた。
 当艇は太平洋戦争緒戦に日本軍が香港攻略を行った際に香港の太古(タイクー)ドックヤードで建造中だったところを鹵獲され、同地を占領後に日本海軍が引き続き建造工事を行って就役させたものである。工事を継続させるにあたって、まだ据え付けられていなかった機関や兵装は日本本土から代替品を送ったため日本式のものとなっているが、それ以外の資材については現地で調達が行われている。基本的な形状はオリジナルと変わらないが、船首楼(艇前部の一段高くなった甲板)は若干短くなっているほか、マストの形状なども異なっている。
 資材の輸送や調達に時間がかかったため竣工したのは昭和19年(1944年)に入ってのことであったが、両艇とも竣工後は船団護衛任務などに従事した。「第101号」は昭和20年1月に戦没したが、「102号」は終戦まで生き残っており、その後英国へ引き渡され、解体処分となっている。
 ちなみに、同じく香港にある別の造船所(香港&黄埔(ホンコン&ワンポア)ドック)で建造されていた姉妹艇(「ランタン」[Lantan]および「リューミュン」[Lyemun])もあり、こちらも建造が継続されているが竣工後は海軍へ編入されず、陸軍の警備艇として使用されたと伝えられているが当サイトでは紹介していない。

第101号型掃海艇の歴史
「第101号」 
1941年 7月12日香港・太古ドックヤードにて英掃海艇「ポートランド」[Portland]として起工
       9月艇名を「タイタム」と改称
      12月太平洋戦争開戦。日本軍により工事進捗率6割の時点で鹵獲される
 (時期不明)日本海軍の手により工事再開
1943年 2月20日進水(「第101号」掃海艇と命名)
1944年 4月10日竣工。日本海軍に編入となる
 海軍編入後は、東南アジア方面などで船団護衛に従事
1945年 1月12日ジャワ海にて米艦載機の攻撃を受け沈没
       3月10日除籍
「第102号」 
1941年 7月12日香港・太古ドックヤードにて英掃海艇「シーフォード」[Seaford]として起工
       9月艇名を「ワグラン」と改称
      12月太平洋戦争開戦。日本軍により工事進捗率3割の時点で鹵獲される
 (時期不明)日本海軍の手により工事再開
1943年 3月20日進水(「第102号」掃海艇と命名)
1944年 9月28日竣工。日本海軍に編入となる
 海軍編入後は、東シナ海方面などで船団護衛に従事
1945年 2月 3日香港近海にて米軍機の攻撃を受け損傷を負う
       8月15日大湊付近にて終戦を迎える
      11月30日除籍
      12月 1日復員局所管の掃海艇に指定され、本土沿岸の掃海任務に従事
      12月20日艇名を「掃第百二号」と改称
1946年 9月 1日特別輸送艦に指定され、復員輸送に従事
1947年11月20日英国へ引き渡されるが、翌年解体処分となる


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