第7号(3代)型 掃海艇

"No.7(3)" Class Fleet Mine Sweeper


第11号
第11号掃海艇(1940年頃)
スペックデータ
排水量:(公)750t ボイラー:ロ号艦本式罐・石炭重油混焼×2基 燃料搭載量:石炭 118t
        重油  48t
全長:67.30m
全幅:7.85m 主機:艦本式オールギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:2.60m
出力:3,850hp
武装:
45口径12cm単装砲3基、25mm連装機銃1基
爆雷36発
最大速力:20.0kt
航続距離:14ktで2000浬
乗員定数:103名

同型艦名(6隻)
第7号(3代)"No.7(3)"第8号(3代)"No.8(3)"第9号(3代)"No.9(3)"
第10号(3代)"No.10(3)"第11号(2代)"No.11(2)"第12号(2代)"No.12(2)"

第7号(3代)型掃海艇について
 「第13号」「第18号」掃海艇に続いて建造された掃海艇。艦隊用掃海艇として最高水準に達しており極めて高性能であった。艦番が前に戻っているのは「第13号」型を建造する時点では旧式駆逐艦を利用した掃海艇が「第7号」から「第12号」までの番号を使用していたためで、それら元駆逐艦の掃海艇が除籍廃艦となり、その番号を使用できるようになったからである。
 昭和12年のマル3計画にて建造が決定したもので、今までの日本海軍掃海艇中最大の大きさの艦となった。掃海だけでなく海防任務に用いられ敵との交戦も想定していたため他国の掃海艇に比べ強力な備砲を備えている。
 太平洋戦争では船団護衛などにも従事しており、終戦まで生き残れたのは「第8号」艇1隻のみであった。

第7号(3代)型掃海艇の歴史
「第7号」(3代) 
1938年12月15日三井造船玉野造船所にて竣工
1944年 4月15日ポートブレア付近にて英潜「ストーム」の雷撃を受け沈没
 除籍日不明
「第8号」(3代) 
1939年 2月15日浦賀船渠にて竣工
1945年 8月15日スラバヤにて終戦を迎える。英国に接収される
1946年 7月10日シンガポールのケッペル湾外にて海没処分
       8月10日除籍
「第9号」(3代) 
1939年 2月15日舞鶴工廠にて竣工
1942年 2月 1日モルッカ諸島アンボンにて掃海中に触雷、沈没
       4月10日除籍
「第10号」(3代) 
1939年 2月15日石川島造船所にて竣工
1941年12月10日ルソン島ビガン湾にて敵機の攻撃を受け沈没
1942年 1月15日(3月説あり)除籍
「第11号」(2代) 
1939年 7月15日浦賀船渠にて竣工
1945年 3月28日セレベス島マッカサル沖にて敵機の攻撃を受け沈没
       5月10日除籍
「第12号」(2代) 
1939年 8月15日石川島造船所にて竣工
1945年 4月 6日フロレンス島西方にて米潜「ベスゴー」の雷撃を受け沈没
 除籍日不明


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