砲艦 操江

GunBoat "Soukou"


操江
砲艦「操江」平面図
スペックデータ
排水量:(常)610t ボイラー:不明 燃料搭載量:石炭 搭載量不明
全長:47.55m
全幅:8.53m 主機:詳細不明レシプロ機関×2基、2軸推進
吃水:3.10m
出力:115hp(350hp説あり)
武装:
8cm(15cm説あり)単装砲2基、47mm機銃1基
最大速力:9.0kt
航続距離:不明
乗員定数:79名

同型艦名(1隻)
操江"Soukou"

砲艦 操江について
 元清国北洋水師所属の小型砲艦「操江」(ツァオ・キアン)[Tsao-Kiang]で日清戦争初期に日本海軍に捕獲されたもの。1894年7月25日の豊島沖海戦で清国兵を満載した商船「高陞号」(コウ・シン)[Kow-shing]を護衛して朝鮮半島へ向かっていたところを日本海軍の「吉野」「秋津洲」に追撃され降伏した(このとき「高陞号」は東郷平八郎大佐が艦長を務める巡洋艦「浪速」に撃沈され、船籍が英国籍だったために国際問題へ発展したが、後に国際法上「浪速」の攻撃は法に則ったもので問題無しとの判断があり日英間の問題は解決した)。
 日本海軍に編入された後は特に目立った活躍もなく1903年に座礁、後に引き揚げられ修理の後に内務省へ移管され神戸港の検疫船として使用された。なお艦名は元々が漢字名称だったため日本海軍編入後も変更されていない。

砲艦 操江の歴史
「操江」「操江」=漢成語の名称なのか、地名等による命名なのか不明
漢成語であれば「河川を守護する」の意となる
1869年?上海にて清国海軍砲艦「操江」として竣工
1894年〜清国海軍北洋水師に所属し、日清戦争に参加
       7月25日豊島沖海戦にて日本艦隊に降伏
       9月12日(21日説あり)日本海軍籍に編入される
日清戦争では朝鮮近海の哨戒任務に従事
1898年 3月21日二等砲艦に類別
1903年 5月22日千島方面の測量任務中に根室湾で座礁。7月引き揚げられる
      10月26日除籍。内務省へ移管され神戸港の検疫船「操江号」として使用
1924年民間へ売却。個人所有船舶として1960年代まで船籍にあった


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