練習艦 摂津(初代)

Training Ship "Settu(1)"


摂津
「摂津艦」(1874年頃)
スペックデータ
排水量:(基)920t ボイラー:不明 燃料搭載量:石炭 搭載量不明
全長:49.2m
全幅:9.6m 主機、推進軸数:(詳細不明)蒸気機関
吃水:4.5m
出力:300hp
武装:
口径不明の砲を8門搭載
最大速力:不明
航続距離:不明
乗員定数:不明

同型艦名(1隻)
摂津(初代)"Settu(1)"

練習船 摂津(初代)について
 明治と改元する直前の慶応4年6月に外国人から購入した艦。元はアメリカ製の三檣シップリッグ砲艦で「コヤホッグ」[Koyahog](「カイヤホガ」[Cuyahoga]という説もあり)という名前だった。
 新海軍が創立された際に軍務官所管の艦船に含まれており、翌明治3年(1870年)に普仏戦争が勃発した際には軍港警備のため兵庫港に配備されている。一時期広島藩(鹿児島藩という説もある)の指揮下に移管していたが廃藩に伴い政府へ返納されている。
 政府へ返納後の明治5年には機関を撤去し、以降は練習艦として使用された。最後は兵学校の係留練習船となっていたが、兵学校が東京都築地から広島県江田島へ移転する際に、廃船となっている。

 余談ではあるが、上掲写真は設立直後の海軍省内堀(現在の東京都築地市場あたり)に係留された「摂津」の写真であるが、背景を見ると時代を感じさせる風景である。

練習船 「摂津」(初代)の歴史
「摂津」(初代)「摂津」=古い国名。現在の兵庫県南東部及び大阪府北西部を指す。
瀬戸内航路の主要な港を有し交通の要衝として栄えた
1854年アメリカにて進水。北軍砲艦「コヤホッグ」となる
1863年 4月アメリカの税関監視船となる
この時点で艦名を「カイヤホガ」と改名したとの説もある
1867年民間へ売却。ブラジル商船「ヘネラル・サンタ・アナ」と改名
1868年 7月(慶応4年6月)外国人商人から購入。大砲練習船「摂津」と命名
1869年 1月(明治元年1月)艦名を「摂津丸」と改名
 明治政府の所管艦船籍に記載されるも、広島藩へ貸与となる
1870年 7月普仏戦争勃発に伴い防備のため兵庫港へ配置される
1871年 4月広島藩から明治政府へ返納される
      10月31日(明治4年9月18日)「一番貯蓄船」と改名される
      12月26日(明治4年11月15日)五等艦に類別される
1872年機関を撤去され、帆走専用となる
1874年 7月24日「摂津」と改名される。同年10月四等艦に類別変更
海軍省(霞ヶ関)の内堀に係留される
1876年11月貯蓄船とされ、横浜にて係留となる
1878年12月兵学校の練習艦に指定される。
1880年 1月係留練習艦に指定される
1881年除籍した砲艦「乾行」を横付けされる。「乾行」は当艦の付属物と見なされる
1886年 2月17日除籍。兵学校所属の雑役船(練習船)となる
1888年兵学校の江田島移転に伴い廃船。売却処分される


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