スループ 清輝

Sloop "Seiki"


清輝
スループ「清輝」(1877年頃)
スペックデータ
排水量:(基)898t ボイラー:(詳細不明)石炭専焼×2基 燃料搭載量:石炭 搭載量不明
全長:61.2m
全幅: 9.3m 主機:(詳細不明)横置式蒸気機関×1基、1軸推進
吃水:4.1m
出力:440hp
武装:
15cm単装砲1基、12cm単装砲1基、他に小口径砲複数
最大速力:9.0kt
航続距離:不明
乗員定数:167名

同型艦名(1隻)
清輝"Seiki"

スループ 清輝について
 帝国海軍が建造した国産第一号の軍艦。またヨーロッパへ遠洋航海を行った初の日本軍艦でもある。台湾征討に際して軍艦の必要性を痛感した西郷従道が進言した建艦計画により建造されたもので、日本海軍艦艇造船の中心となるべく建造された横須賀造船所が初めて手がけた軍艦で、初めは2,600トンの大型艦だったものが資材不足のため計画縮小されている。
 三檣バーク型の木造スループで機関補助のため強力な帆走設備を持っており、15センチ砲と小口径砲を装備した姿は国産初の小型軍艦ながら威容を誇っていた。
 明治11年にヨーロッパ遠航を行った際には歴訪した各国で盛大な歓迎を受け、「咸臨丸」の太平洋横断に続いて日本(海軍)の航海術が世界一流に達したことを世に示した。このヨーロッパ遠航には多数の造船技術者が乗り込んでおり、訪問した各地で最先端の技術を学び入れることも重要な任務となっていた。
 なお当艦の類別を当サイトではスループとしているが、これは当艦が明治21年に座礁破壊してしまうまでに巡洋艦や砲艦などへ類別されなかったからである。

スループ 清輝の歴史
「清輝」「清輝」=澄んで清らかな光を意味する漢語
1873年11月20日横須賀造船所にて起工
1875年 3月 5日進水
1876年 6月21日竣工
1877年 1月供奉艦として明治天皇の大和行幸に随伴
 鹿児島の形勢不穏のため同地へ派遣。兵員(巡査)輸送に従事
1878年 1月〜ヨーロッパへの遠洋航海を行う。翌年4月帰還
1882年 4月壬午事変(朝鮮兵士の反乱による公館焼き討ち)発生。邦人保護のため出動
1888年12月 7日訓練航海中、駿河湾にて座礁破壊


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