コルベット 雷電

Corvette "Raiden"


雷電
コルベット「雷電」(1881年)
スペックデータ
排水量:370t ボイラー:(詳細不明)石炭専焼 燃料搭載量:石炭 搭載量不明
全長:42.2m
全幅:6.4m 主機:(詳細不明)蒸気機関、内車輪式推進
吃水:不明
出力:60hp
武装:
大砲6門(12ポンド砲4、6ポンド砲2)
最大速力:7.7kt
航続距離:不明
乗員定数:58名

同型艦名(1隻)
雷電"Raiden"

コルベット 雷電について
 元は江戸幕府所属の軍艦「蟠竜丸(ばんりゅうまる)」で、安政5年(1858年)に英ヴィクトリア女王から日英修好通商条約の記念に徳川将軍へ送られたものである。本来は将軍への贈り物であったため、三本マストのスマートな外見と王室ヨットなみの豪華な内装が施されていたが、幕府では当艦を軍艦(砲艦)として使用するため幕府海軍に組み込んだ。
 その後、江戸城開城の際に戦力の引き渡しを拒んだ幕府海軍副総裁の榎本武揚らに率いられ他の幕府軍軍艦とともに品川沖を脱出した。蝦夷地へ移動後は松前城への攻撃や、新政府軍の「甲鉄」の追撃を帆走で振り切るなど活躍し、箱館湾海戦でもかつての僚艦であった「朝陽丸」を撃沈するなどの戦果を挙げたものの、最後は新政府軍に追い詰められ箱館の弁天台場付近で自ら浅瀬に乗り上げて座礁した。乗組員は座礁後に機関を破壊して脱出したが、当艦の再度の戦力化を恐れた新政府軍はマストに放火したため、バランスを崩し船体が横転している。
 箱館戦争終結後、当艦はイギリス人の手により引き揚げられて上海で修理が行われた。その際に上甲板の構造物はほぼ新造されたため帆柱が三本から二本へ変更されている(上掲写真参照)。修理完了後の当艦は北海道開拓使が購入し「雷電丸」と名付けて輸送などに使用していたが、明治10年(1877年)に海軍の運送船「冲鷹丸」と交換され海軍籍に編入、艦名は「雷電艦」となった。
 海軍編入後は大きな作戦への参加はなく、明治21年には廃艦となり捕鯨業者に払い下げられ、さらにその後汽船会社に売却されている。

コルベット 雷電の歴史
「雷電」「雷電」=いかずちといなずまを組み合わせた漢成語でかみなりの意。
旧艦名の「蟠竜」はとぐろを巻いた竜の意味であった。
1856年11月29日英グリーン造船所にて進水。仮称「エンペラー」
1857年竣工
1858年 8月12日(安政5年7月4日)英女王から徳川将軍へ寄贈
艦名を「蟠竜丸」と命名し、幕府海軍へ編入される
1868年 1月26日(慶応4年1月2日)兵庫沖停泊中の薩摩藩軍艦「平運丸」を砲撃
事実上の戊辰戦争開戦となる(公式には翌日が戦争開始日とされる)
       4月江戸城開城に伴い明治政府へ譲渡予定だったが、榎本武揚は譲渡を拒否
       7月将軍徳川慶喜が駿府へ移送される際に乗艦
(徳川慶喜が当艦に乗艦したのはこれが最初で最後だった)
      10月 5日(慶応4年8月20日)旧幕府艦隊(榎本艦隊)の一艦として品川沖を脱出
      12月 4日(明治元年10月21日)旧幕府軍が蝦夷地へ上陸。箱館戦争勃発
      12月14日(明治元年11月1日)松前を砲撃
1869年 5月 6日(明治2年3月25日)荒天のため八戸で待機しており、宮古湾海戦に参加できず
 八戸から箱館への帰路、政府軍軍艦「甲鉄」に追撃されるが逃走に成功
       6月20日(明治2年5月11日)箱館湾海戦に参加。
新政府軍艦「朝陽丸」を撃沈するが、その後弾薬がつきたため自ら座礁。
新政府軍により火が放たれ転覆する
 放置されていた船体を英国人が引き揚げ修理を行う
1873年 6月北海道開拓使が購入。艦名を「雷電丸」と命名
1877年 2月海軍運送船「冲鷹丸」と交換で海軍へ引き渡し。「雷電艦」と改称
1888年 1月28日除籍廃艦。高知県の捕鯨業者へ払い下げられる
 その後、愛知の汽船会社へ売却。商船として使用される
1897年大阪の木津川造船所にて解体処分


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