乙型魚雷艇

Torpedo boat Type"Otu" ("T-23" etc)


第241号
「第241号」魚雷艇(T−38型:1944年頃)
スペックデータ(計画値:T−35)
排水量:24.3t ボイラー:−−−−− 燃料搭載量:ガソリン 搭載量不明
全長:18.0m
全幅: 4.3m 主機:71号6型ガソリンエンジン×2基、2軸推進
吃水: 0.7m
出力:1,840hp
武装:
13.2mm機銃1基(後期製造タイプは25mm機銃)、45cm魚雷落射機2基(魚雷2発)、
爆雷2個搭載可能
最大速力:38.0kt
航続距離:33ktで290浬
乗員定数: 7名
スペックデータ(計画値:T−14)
排水量:15.0t ボイラー:−−−−− 燃料搭載量:ガソリン 搭載量不明
全長:15.0m
全幅: 3.7m 主機:71号6型ガソリンエンジン×1基、1軸推進
吃水: 0.6m
出力: 920hp
武装:
13.2mm機銃1基、45cm魚雷落射機2基(魚雷2発)、
爆雷搭載可能
最大速力:33.0kt
航続距離:不明
乗員定数:不明

同型艦名(402隻)
T−23型:第201号〜第205号艇、第213号〜第215号艇、第401号〜第410号艇、第451号〜第454号艇
T−31型:第206号〜第219号艇、第230号〜第234号艇
T−33型:第220号〜第229号艇、第316号〜第326号艇、第421号〜第425号艇、第455号〜第456号艇、第501号〜第505号艇
T−34型:第235号〜第240号艇
T−38型:第241号〜第286号艇、第457号〜第467号艇、第507号〜第528号艇
T−32型:第301号〜第315号艇
T−37型:第327号〜第348号艇、第355号〜第357号艇
T−36型:第411号〜第420号艇、第426号〜第450号艇、第470号〜第473号艇
T−35型:第468号艇、第482号〜第490号艇
T−39型:第474号〜第481号艇
T−25型:第469号艇、第493号〜第500号艇、第529号〜第537号艇、第801号〜第837号艇
T−14型:第538号〜第555号艇、第838号〜第894号艇、第1101号〜第1108号艇(890〜894は建造中止)
T−15型:第491号〜第492号艇

乙型魚雷艇について
 太平洋戦争が始まった時点で、日本海軍が配備していた魚雷艇は「T−1」型の6隻のみであった。ところが敵国であるアメリカやオランダは東南アジアなどに魚雷艇隊を保有しており、戦争緒戦では勢いのあった日本海軍にとって敵の魚雷艇勢力は特に問題にはならなかったものの、戦争中盤以降の南方における島嶼攻略戦になってくると米海軍の魚雷艇(PTボート)は無視できない脅威となってきた。
 前線の日本軍は神出鬼没な米PTボートに苦しめられ、大発に対戦車砲や機銃などを搭載して対抗したが、軽快で高速なPTボートと本来は輸送用の大発では勝負にならず、局地防衛や輸送舟艇掩護のための高速艇配備が要求されるようになった。
 昭和18年(1943年)になって海軍では高速艇(魚雷艇)の急造計画を実施することとし、1500隻もの大量生産を計画したのであるが、工業力の弱い日本ではとうてい無理な計画であり、実際に建造を開始してみると必要なエンジンの生産が追いつかず、航空機用のエンジンを流用したり、性能の低下に目をつぶり基数を減じるなどの工夫を行った。このため、建造された魚雷艇には多数のバリエーションがあり、とても量産向きのマスプロ化に成功したとは言えない状況であった。特に空冷の航空機用エンジンは小型艇に搭載するためには冷却能力が足りず、スペックどおりの性能を発揮できなかった。計画では35ノット以上の速度を発揮する予定だったが、性能の低下したエンジンでは30ノットを切る艇が続出したと言われる。
 終戦までに建造された乙型魚雷艇は約400隻(性能不足で雷艇(いかずちてい)とされたものを含む)だったが、戦争末期の昭和20年春に魚雷艇の製造は中止となり、以降は本土決戦に向けた特攻兵器である「震洋」などの量産へ移行している。

各タイプの詳細など(型式名の下の数字は排水量、機関出力、最高速度を表す)
T−23型(22隻)
25.0t、600hp、17.0kt
1943年、横須賀工廠、佐世保工廠、三菱長崎にて建造
九一式六百馬力水冷発動機(600hp:九一式飛行艇等に搭載)1基搭載
馬力不足で20ノット以下しか出せず、ほとんどの艇が雷艇として訓練任務に従事
T−31型(19隻)
25.0t、900hp、20.0kt
1943年、横須賀工廠にて建造
ヒ式四五〇馬力水冷発動機(450hp:一三式艦攻等に搭載)2基搭載
馬力不足で20ノットほどしか出せず、ほとんどの艇が雷艇として訓練任務に従事
T−33型(39隻)
24.5t、1200hp、21.0kt
1943〜44年、横須賀・呉・佐世保・舞鶴工廠、三菱長崎にて建造
九一式六百馬力水冷発動機(600hp)2基搭載
馬力不足で20ノットほどしか出せず、ほとんどの艇が雷艇として訓練任務に従事
T−34型(6隻)
24.0t、1600hp、27.5kt
1943年、横須賀工廠にて建造
ロールスロイス八〇〇馬力発動機(800hp:九〇式二号飛行艇に搭載)2基搭載
速度は27ノットほど出せたが、数が少ないため雷艇として訓練任務に従事
T−38型(79隻)
24.0t、1400hp、27.5kt
1943〜44年、横須賀工廠、舞鶴工廠、横浜ヨット、三菱長崎にて建造
「金星」四一型(700hp:九六陸攻一一型等に搭載)2基搭載
艇により速度にバラツキがあるが、良好なものは30ノットを発揮
T−32型(15隻)
24.0t、1000hp、21.5kt
1943年、呉工廠にて建造
ヒ式六五〇馬力発動機(650hp:九〇式一号飛行艇に搭載)2基搭載
速度は20ノットを若干上回る程度だが、一部の艇は南方へ送られた
T−37型(25隻)
25.0t、1200hp、25.0kt
1943〜44年、呉工廠にて建造
「明星」二型(700hp)2基搭載
当艇以降の艇は25mm機関砲を搭載するようになった
T−36型(39隻)
24.0t、1720hp、21.5kt
1943〜44年、佐世保工廠、三菱長崎にて建造
「寿」三型(860hp:九六艦戦等に搭載)2基搭載
速度が遅く、エンジン過熱の問題が解決できなかったと伝えられる
T−35型(10隻)
24.0t、1840hp、38.0kt
1943年、舞鶴工廠、三菱長崎にて建造
71号6型発動機2基搭載
ようやく本命の機関を搭載できたタイプだが、生産能力の不足から建造数は少ない
T−39型(8隻)
25.0t、1440hp、27.0kt
1943年、三菱長崎にて建造
「震天」二一型(1220hp)2基搭載
詳細不明。建造数が少ないことから、能力不足だった可能性が高い
T−25型(55隻)
24.5t、920hp、25.9kt
1944年、舞鶴工廠、三菱長崎にて建造
71号6型発動機1機搭載
生産が追いつかず発動機の数を減らしたタイプ。戦時急造としては成功作と言える
T−15型(2隻)
15.0t、920hp、35.0kt
1944年、三菱長崎にて建造
「MAS」型のような段付き船体とした試作型。量産化されず
T−14型(83隻)
15.0t、920hp、33.0kt
1944〜45年、佐世保工廠、舞鶴工廠、三菱長崎にて建造
71号6型発動機1機搭載
船体を小型化したタイプ。量産型としては成功作だが品質低下に悩まされた


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