同型艦名(1+7隻+3隻)
T−51a型:第10号艇 |
T−51b型:第11号〜第17号艇(第18号〜第20号は計画中止) |
甲型魚雷艇について
昭和14年頃から日本海軍においては、ドイツ海軍の大型高速魚雷艇(Sボート)を参考にした魚雷艇の開発が開始された。これまで行われた小型魚雷艇(「T−0」や「T−1」型)の建造にも目処が立ち、沿岸部だけでなく近距離での船団護衛や上陸作戦時の支援にも使える大型魚雷艇は、日本海軍としても是非とも手に入れたい兵力であった。
昭和16年度の戦力整備計画(マル急計画)により8隻の建造が認められたが、とにかく初めての経験となる艇であったため、まず試作型として1隻の設計・建造が行われた。設計計画番号は「T−51」とされたが、試作型として建造された艇と量産された艇では若干設計が異なっているため、通常は「T−51a」「T−51b」のように分けられている。
昭和18年(1943年)にようやく完成した試作艇は「第10号」魚雷艇と命名されたが建造には一年近い期間がかかり、また完成後も重量過多による性能低下や、4基搭載したエンジンをフルカン接手により2軸推進へ変換する機構が複雑だったりと不具合も多かったため、量産型では若干の軽量化と4軸推進化による機構の単純化が図られた。
戦争末期になって量産型も完成したが、その後の改マル5計画で認められた追加建造(第18号以降の艇)については、戦局の悪化や性能不足から計画中止となってしまっている。なお第18号艇は計画中止時点で既に建造に着手していたため建造は続行され、最終的には雑用船の雷艇(いかずちてい)として完成している。