哨戒艇 第109号

Patrol Boat "No.109"
(ex Gouvernements Marine Patrouillevaartuig "Fazant")



第109号
哨戒艇「第109号」(撮影時期不詳:蘭印哨戒艇「ファザント」時の姿)
スペックデータ(日本海軍編入後)
排水量:(公)600t ボイラー:−−−−− 燃料搭載量:重油 搭載量不明
全長:47.8m
全幅:8.4m 主機:独ドゥーツ社製ディーゼル機関×1基、1軸推進
吃水:2.8m
出力:700hp
武装:(日本海軍編入後)
短8cm単装高角砲1基、7.7mm機銃1基、
爆雷24〜36発搭載
最大速力:12.3kt
航続距離:不明
乗員定数:40名

同型艦名(1隻)
第109号"No.109"

哨戒艇 第109号について
 元はオランダ領東インドに所属する巡視船「ファザント」で、1930年代初頭に建造されたものである。1920年代までの蘭領東インド政府が保有していた巡視船は旧式な石炭ボイラーの汽船だったため、即応性の観点(蒸気機関は機関停止時の場合、罐の圧力が高まり行動可能になるまで時間がかかる)からディーゼル機関を搭載した艇へ更新された。当艇はその新造艇3隻のうちの1隻である。
 第二次大戦勃発により当艇はオランダ海軍の指揮下に入り南シナ海やジャワ海での哨戒任務などに従事しており、太平洋戦争が始まると日本軍の侵攻に押されて活動領域が後退しスンダ海峡(スマトラ島とジャワ島の間)の警備を行うようになったが、昭和17年(1942年)3月1日にタンジョン・プリオクの閉塞船として自沈している。
 ジャワ島を占領した日本軍により捕獲された当艇は、浮揚・修理ののち日本海軍に編入となった。編入後は周辺海域での船団護衛などに従事し、終戦時にもジャカルタで残存していたため、戦後オランダへ引き渡された。インドネシア独立後は、インドネシア海軍の所属となり、スカルノ大統領の使用するヨット(連絡艇)として1950年代半ばまで現役であった。

哨戒艇 第109号の歴史
「第109号」 
1929年スラバヤの蘭海軍工廠にて起工
1930年進水
1931年竣工。蘭領東インド政府の巡視船「ファザント」として就役
1939年 9月第二次大戦勃発のため蘭領東インド所属の艦船は蘭海軍指揮下となる
1941年12月〜太平洋戦争勃発。スンダ海峡の哨戒などに従事
1942年 3月 1日タンジョン・プリオクの閉塞船として自沈する
1944年 7月末〜海軍第102工作部の手により浮揚、スラバヤへ回航され修理を行う
      10月15日日本海軍籍へ編入。哨戒艇に類別、艇名を「第109号」哨戒艇と命名
1945年 4月30日修理完了。部隊へ配属され、スラバヤ方面での船団護衛に従事
       8月15日ジャカルタにて終戦を迎える
1946年 4月21日戦時賠償としてオランダへ引き渡し
1947年 3月 5日オランダ海軍退役。係留放置となる
1949年末インドネシア独立戦争終結。艇の所有権がインドネシア政府に移る
1951年機関換装などの改修を実施。艇名を「カルティカ」[Kartika]と改名
スカルノ大統領が国内移動する際の連絡艇(軍用ヨット)として使用される
1954年インドネシア海軍退役。後に解体処分


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