哨戒艇 第102号

Patrol Boat "No.102"
(ex United States Navy Destroyer "USS Stewart")



第102号
哨戒艇「第102号」(1946年、アメリカへ返還後)
スペックデータ(日本海軍編入時)
排水量:(基)1,270t ボイラー:フォスター式水管罐・重油専焼×4基 燃料搭載量:重油 搭載量不明
全長:92.4m
全幅:9.4m 主機:ウエスチングハウス社製ギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:3.3m
出力:26,500hp
武装:
40口径7.6cm単装高角砲2基、(後に25mm連装機銃3基、同単装機銃5基等を追加)
爆雷72個(投射機1基)
最大速力:26.0kt
航続距離:12ktで2500浬
乗員定数:105名

同型艦名(1隻)
第102号"No.102"

哨戒艇 第102号について
 元はアメリカ海軍の駆逐艦「スチュワート」(DD-224)で、第一次大戦の際に計画建造された旧式艦であったが太平洋戦争開戦時でもアメリカ海軍太平洋艦隊の1隻として現役であり、昭和17年2月のバリ島沖海戦で損傷し蘭印スラバヤのドックにて入渠修理中だった当艦を、蘭印攻略にてジャワ島を占領した日本軍が捕獲、修理・改修後に海軍へ編入したものである。
 日本軍は海軍第102工作部により艦の修理・改修を行った。基本的な艦型に変更はなかったが、特徴的な4本煙突のうち前部2本を甲板上で結合して集合煙突とするなどの改修も行われている。昭和18年に哨戒艇に類別され、艦隊編入後は船団護衛などに従事した。
 終戦時に当艦は生き残っており、進駐してきた米軍に引き渡された当艦は昭和20年10月に再度米海軍籍に編入された。しかし、すでに「スチュワート」の名称は新しく建造された別の艦が使用していたため、あえて艦名はつけられず艦番(DD-224)のみで呼称されている。翌年に当艦は本国へ帰還をはたし、その後航空機の標的艦として自沈している。

哨戒艇 第102号の歴史
「第102号」 
1919年 9月 9日米クランプ社にて起工
1920年 3月 4日進水
       9月15日竣工。慣熟訓練の後、米アジア艦隊に配属
1923年 9月関東大震災に際し、救援艦隊に参加
1941年12月米太平洋艦隊第58駆逐隊旗艦として太平洋戦争に参加
1942年 2月20日バリ島近海にて日駆逐隊と交戦(バリ島沖海戦)、損傷を負う
       2月24日スラバヤにて入渠修理中、日本軍の空襲および侵攻を受ける
       3月 1日修理を放棄。翌2日にドックごと爆破自沈処分される
       3月 8日スラバヤを占領した日本軍により捕獲される
       3月25日米海軍除籍
1942年中盤〜第102工作部により修理・改修が行われる
1943年 6月15日哨戒艇に類別。艇名を「第102号」哨戒艇と改称
       9月20日修理完了。翌21日第2南遣艦隊に編入
      10月〜東南アジア、中国沿岸などで船団護衛などに従事
1945年 4月26日朝鮮半島西方(木浦市沖)にて米軍機の攻撃を受け損傷を負う
       5月修理に際し、電探の設置などを実施
修理完了後は海軍総隊呉鎮守府部隊に転属
       8月15日佐伯にて終戦を迎える
      10月 5日日本海軍除籍
      10月29日広島湾にて米軍へ引き渡し。同日「DD-224」として米海軍籍編入
1946年 3月米本国へ帰還。サンフランシスコへ到着
       4月17日米海軍除籍
       5月24日サンフランシスコ沖にて実艦標的として使用され沈没


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