哨戒艇 第101号

Patrol Boat "No.101"
(ex Royal Navy Destroyer "HMS Thracian")



第101号
哨戒艇「第101号」(1942年、修理完了直後)
スペックデータ(日本海軍編入時)
排水量:(基)1,150t ボイラー:ヤーロー式罐・重油専焼×2基 燃料搭載量:重油 搭載量不明
全長:84.0m
全幅:8.15m 主機:ブラウン・カーチス式直結タービン×2基、2軸推進
吃水:3.3m
出力:10,000hp
武装:
10.2cm単装砲3基
(後に砲2基を撤去し、61cm魚雷4連装発射管1基、53cm魚雷連装発射管1基、
13mm単装機銃2基、爆雷10発(投射機1基)を搭載した)
最大速力:25.0kt
航続距離:不明
乗員定数:111名

同型艦名(1隻)
第101号"No.101"

哨戒艇 第101号について
 元はイギリス海軍の旧式駆逐艦「スレイシアン」で、第二次大戦時には英東洋艦隊に所属し香港にて機雷敷設などの任務に従事していた。昭和16年12月の太平洋戦争開戦とともに日本軍は香港攻略を開始し、当艦は日本軍への砲撃などを行い抗戦したが12月16日に香港島南部のレパルスベイにて座礁し、25日に日本軍に捕獲された。
 日本海軍では当艦を修理・改装して、昭和17年に第101号哨戒艇と名付け艦隊に編入した。元は旧式ながら36ノットを発揮する駆逐艦であったが、ボイラーの損傷などにより性能は低下しており、日本海軍編入時には25ノット程度の速度しか発揮できなかった。昭和18年には横須賀へ移動し海軍水雷学校の練習艦となり、18年末には砲を一部撤去して53センチおよび61センチ魚雷発射管を搭載するなどの改修を行っている。この際に試製23号電探(対水上射撃管制用)も搭載され、練習任務以外に新型電探の試験も行うようになった。
 そのため終戦まで戦場へ出ることはなく終戦時も横須賀にて残存していたが、戦後イギリスへ返還された後、香港で解体処分となっている。

哨戒艇 第101号の歴史
「第101号」 
1918年 1月10日英ホーソン・レスリー社にて起工
1920年 3月 5日進水
1922年 4月 1日竣工。艦隊配属後は、香港へ進出
1930年代第一線任務から退き、機雷敷設などの任務に従事
1941年12月 8日〜日本軍の香港侵攻に際し、陣地砲撃や輸送船攻撃などを実施
      12月16日香港レパルスベイの銀洲(小島の名前)付近にて座礁し行動不能となる
      12月25日日本軍に捕獲され、第2工作部の手で修理・改修を実施
1942年 7月10日(10月1日説あり)「第101号」哨戒艇と命名され、特務艇(哨戒艇)に類別
       9月 1日(10月1日説あり)横須賀防備隊に編入
      11月25日修理が完了し、横須賀回航のため香港を出発
1943年 2月15日類別標準改定により艦艇の哨戒艇となる
       8月15日海軍水雷学校へ転属。練習艦(練習哨戒艇)となる
      12月〜改修工事を実施。完了は翌年1月
1944年 3月15日雑役船へ類別変更。艇名を「特一号練習艇」と改称
1945年 8月15日横須賀にて終戦を迎える
      10月香港にてイギリスへ返還。後に解体処分


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