隠戸型 給油艦

"Ondo" Class Replenishment Oiler


早鞆
給油艦「早鞆」(1920年代末)
スペックデータ
排水量:(常)15,400t ボイラー:ロ号艦本式罐(「早鞆」「鳴戸」は宮原罐)・石炭専焼×4基 燃料搭載量:石炭 1350t
全長:138.68m
全幅:17.68m 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×1基、1軸推進
吃水:8.08m
出力:3,750hp
武装:
50口径14cm単装砲2基、40口径7.6cm単装高角砲2基
(ただし平時には搭載せず)
最大速力:12.0kt
航続距離:不明
乗員定数:157名

同型艦名(3隻)
隠戸"Ondo"早鞆"Hayatomo"鳴戸"Naruto"

隠戸型給油艦について
 給油艦「能登呂」型の設計を若干改正して建造された給油艦。艦型はほとんど変更はないがボイラーの形式等が異なるため「能登呂」型とは別に「隠戸」型として分類されている。
 太平洋戦争でも使用されたが低速なことが欠点であったので、1930年代前半から船舶改善助成法によって建造された民間の高速タンカーや海軍の新式高速給油艦に活躍の場を奪われ、主に外地から本土への重油輸送に使用されるにとどまった。

隠戸型給油艦の歴史
「隠戸」「隠戸」=広島県呉湾口の隠戸瀬戸から取った名称
1922年 3月15日神戸川崎造船所にて起工
      10月21日進水
1923年 3月12日竣工
1926年 2月〜予備艦(第四予備艦)となり係留される
1927年 4月再就役。北米やインドネシアからの重油輸送に従事
1933年日華事変に際して兵装を搭載
1941年12月太平洋戦争に参加。主に本土〜泊地間の重油輸送任務に従事
1943年11月18日セレベス海にて米潜「ブルーフィッシュ」の雷撃を受け損傷を負う
曳航されマニラ湾へ到着後、修理を実施
1944年11月13日マニラ湾にて米艦載機の攻撃を受け沈没
      12月20日除籍
「早鞆」「早鞆」=関門海峡東部の早鞆ノ瀬戸から取った名称
1922年 3月14日呉工廠にて起工
      11月12日進水
1924年 5月18日竣工
1925年 4月16日サンフランシスコにて桟橋係船柱を損傷させ賠償金を支払う
1928年 2月 4日関門海峡にて小型船を避けようとして座礁する
1933年日華事変に際して兵装を搭載
1941年12月太平洋戦争に参加。南方方面にて重油輸送任務に従事
      12月14日ラモン湾にて敵機の爆撃を受けるが損傷軽微
1942年 8月23日アンボン沖にて米潜「スキップジャック」の雷撃を受け損傷を負う
応急修理後、11月からシンガポールにて本格修理を実施
1943年10月 9日ボルネオ島東岸にて米潜「キングフィッシュ」の雷撃を受け損傷を負う
応急修理後、翌年1月にシンガポールにて本格修理を実施
1944年春〜機関不調のためリンガ泊地にて艦隊への給油任務に従事
      10月末〜シンガポールへ帰還。以降はセレター軍港にて係留となる
1945年 8月15日シンガポールにて中破状態で終戦を迎える
英国海軍が接収。海上重油タンクとして使用する計画があったが実現に至らず
1946年海没処分される
1947年 5月 3日除籍
「鳴戸」「鳴戸」=四国と淡路島の間にある鳴門海峡から取った名称
1922年 4月11日横須賀工廠にて起工
1923年 1月30日進水
1924年10月30日竣工
1926年 2月〜予備艦(第四予備艦)となり係留される
1927年 5月再就役。青島に進出し、艦隊への給油任務など支援に従事
1933年日華事変に際して兵装を搭載
1941年12月太平洋戦争に参加。南方方面にて重油輸送任務に従事
1942年 6月ミッドウェー海戦に参加。当艦が発した無電を米軍に傍受されたため米軍側に
攻撃を予知されたという説(木俣滋郎氏の説)がある
      11月12日ショートランドにて敵機の爆撃を受け損傷を負う
呉へ帰還し、修理を実施(翌年1月完了)
1943年 1月中旬〜ラバウルへ進出。艦隊への給油任務に従事
1944年 1月14日ラバウルにて敵機の攻撃を受け大破擱座
以降は係留され、固定対空砲台として使用される
       3月15日総員退艦が下命され、船体は放棄となる
       4月30日除籍


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