砲艦 興津

GunBoat "Okitu"
(RN Lepanto)



興津
砲艦「興津」(伊海軍「レパント」時代の写真)
スペックデータ
排水量:(基)700t ボイラー:ヤーロー罐・重油専焼×2基 燃料搭載量:重油75t
全長:62.20m
全幅:8.70m 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:2.60m
出力:1,500hp
武装:
40口径8cm単装高角砲1基、25mm連装機銃2基、
25mm単装機銃4基、爆雷36発
最大速力:13.7kt
航続距離:不明
乗員定数:60名程度

同型艦名(1隻)
興津"Okitu"

砲艦 興津について
 元はイタリア海軍の敷設艦「レパント」であるが、第二次世界大戦半ばにイタリアが連合国に単独降伏したため上海にあった本艦は自沈。これを日本海軍が引き上げて修理し艦籍に編入、砲艦「興津」と命名して使用したものである。
 元々が敷設艦であったため機雷を搭載して敷設する設備が設置されており、日本海軍編入後も機雷を搭載して中国沿岸で行動した。
 終戦時には舟山列島にあり、後に中華民国に接収され国府軍軍艦「咸寧」(シァン・ニン)[Xian-Ning]になるという数奇な運命をたどった艦でもある。

砲艦 興津の歴史
「興津」「興津」=静岡県清水市の北東に位置し駿河湾を望む風光明媚の地。かつては
東海道五十三次の宿場であったが明治以降は政府要人達の別荘が点在した
1927年 5月22日イタリア海軍敷設艦「レパント」として進水。同年竣工
1933年伊海軍極東部隊に所属し、中国沿岸にて行動
1943年 9月 9日イタリアが降伏したため、上海にて自沈
      11月 8日日本海軍第1工作部の手により引き上げ、修理される
1944年 3月 1日砲艦「興津」と命名され、艦籍に編入
上海〜高雄間の船団護衛などに従事
1945年 8月15日舟山列島にて終戦を迎える
       9月30日除籍。後に中華民国が接収、「咸寧」(シァン・ニン)[Xian-Ning]と命名
1950年武装を米軍規格のものに換装
1956年台湾海軍除籍


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