水上機母艦 瑞穂

Seaplane Tender "Mizuho"


瑞穂
水上機母艦「瑞穂」(1940年)
スペックデータ
排水量:(公)12,150t ボイラー:−−−−− 燃料搭載量:重油 1200t
全長:174.0m
全幅:18.8m 主機:艦本式11号8型ディーゼル機関×4基、2軸推進
吃水:7.08m
出力:15,200hp
武装:
40口径12.7cm連装高角砲3基、25mm連装機銃10基、
水偵24機(他に補用8機)搭載(射出機4基)
最大速力:22.0kt
航続距離:16ktで8,000浬
乗員定数:689名

同型艦名(1隻)
瑞穂"Mizuho"

水上機母艦 瑞穂について
 「千歳」型水上機母艦の三番艦として建造された「瑞穂」はロンドン軍縮条約下における艦数の劣勢を補うため、数種の任務に従事できるような設計が盛り込まれて建造された。元々は水上機母艦として建造されたのであるが、少しの改造で特殊潜航艇母艦へ変更できたし、また必要によっては補助空母(軽空母)への改造が容易なように設計されてもいた。ちなみに特殊潜航艇母艦へ改修される場合は、搭載水上機は半分の12機となり、かわりに12隻の甲標的を艦内に搭載する計画であった。
 機関はディーゼル機関とされていたが、これは戦艦「大和」型に採用が予定されていた機関の実験を兼ねていたためである。ただしこの艦で故障が頻発し所定の能力を発揮できなかった(竣工当初は回転数の制限が行われたため、最高速力は18ノット程度に抑えられた)ので、「大和」型戦艦へのディーゼル機関の採用は中止となった。機関をディーゼルとしたため通常の煙突は必要なくなり、機関排煙は船体中央部にそびえる大型デリック内の排気筒から出されるようになっている。
 なお本艦は太平洋戦争で最初の戦没軍艦(駆逐艦や潜水艦を除く厳密な定義での「軍艦」)でもある。

水上機母艦 瑞穂の歴史
「瑞穂」「瑞穂」=日本の美称の一つ。稲穂の実る豊かな様を表す言葉
1937年 5月 1日神戸川崎で起工
1938年 5月16日進水
1939年 2月25日竣工
       6月〜第四艦隊旗艦となり、中国沿岸へ進出
1940年 6月〜横須賀工廠にてディーゼル機関の修理を実施。22ノット発揮が可能となる
1941年12月〜第十一航空戦隊旗艦として太平洋戦争に参加。フィリピン攻略などに従事
1942年 1月〜インドネシア(メナド、ケンダリー、マカッサル等)攻略に従事
       3月〜横須賀へ帰還し、4月まで修理等を行う
       5月 2日遠州灘にて米潜水艦「ドラム」の雷撃を受け沈没
       5月20日除籍


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