海防艦 見島

Coast Defence Ship "Misima"
("Адмирал Сенявин"[Admiral Seniavin])



見島
海防艦「見島」(1900年頃:露海軍海防戦艦「アドミラル・セニャーウィン」時代の写真)
スペックデータ
排水量:(常)4,500t ボイラー:ベルビール罐・石炭専焼×8基 燃料搭載量:石炭 400t
全長:80.62m
全幅:15.88m 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:5.49m
出力:5,000hp
武装:
45口径25.4cm連装砲2基、40口径12cm単装砲4基、
40口径7.6cm単装砲4基、47mm単装砲2基、45cm魚雷発射管4門
最大速力:16.0kt
航続距離:10ktで2500浬
乗員定数:400名

同型艦名(1隻)
見島"Misima"

海防艦 見島について
 元はロシア海軍の海防戦艦(浅吃水の沿岸防備用小型戦艦)「アドミラル・ウシャコフ」型二番艦「アドミラル・セニャーウィン」で、日露戦争ではバルチック艦隊に所属していたが、日本海海戦にて日本海軍へ降伏し後に日本海軍籍へ編入されたものである。
 日本海軍編入後、第一次大戦では青島攻略作戦に参加しており、またシベリア出兵では元々の砕氷構造を生かし砕氷艦としても兼用され、その後も小樽を基地にシベリア方面の警備活動に従事した。
 大正11年(1922年)以降は特務艇に類別され潜水艇母艦として使用されたのち、昭和11年(1936年)に廃艦となり標的艦として使用され生涯を終えた。

海防艦 見島の歴史
「見島」「見島」=山口県長門市の北に浮かぶ見島から取った
名称。日露戦争中は望楼が設置されていた
1892年 8月 2日ロシア・新アドミラルティ工廠にて起工
1894年 8月22日進水
1896年ロシア海軍海防戦艦「アドミラル・セニャーウィン」として竣工
1904年バルチック艦隊に所属し日露戦争に参加
1905年 5月28日日本海海戦において日本海軍に追いつめられ降伏
       6月 6日二等海防艦「見島」として日本海軍籍に編入
1914年第二艦隊第二戦隊に所属し第一次大戦に参加。青島方面で作戦に従事
1918年シベリア出兵に際し、兼砕氷船として改装される
1919年 2月ウラジオ方面へ出動
1920年 2月〜小樽を基地としてシベリア方面警備に従事
1922年 4月 1日特務艇に類別。潜水艇母船として使用される
1935年10月10日除籍
1936年 1月10日「廃艦第七号」と改名。艦隊訓練用の標的艦として使用される


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