通報艦 満州

Scout Ship "Mansyuu"[Mansyû]
("Маньчжурия"[Manchzhuriya])



満州
通報艦「満州」(1916年)
スペックデータ
排水量:(常)3,916t ボイラー:円罐・石炭専焼×5基 燃料搭載量:石炭 1218t
全長:104.55m
全幅:13.84m 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:4.90m
出力:5,000hp
武装:
40口径7.6cm単装砲2基、5cm単装砲2基
最大速力:17.8kt
航続距離:不明
乗員定数:135名

同型艦名(1隻)
満州"Mansyuu"[Mansyû]

通報艦 満州について
 元はロシアの東清鉄道会社が所有していた汽船「マンチジューリヤ」[Маньчжурия](Manchzhuriya)であったが、日露戦争開戦前に修理のため長崎の造船所に入渠しており、開戦となったため日本海軍に拿捕されたものである。このときロシア側は工事完成を急がせたが、日本の奇襲により開戦が早まったことと造船所の工事の遅れ(一種のサボタージュ工作か?)のため工事終了が間に合わなかった。
 元々、社有船で義勇艦隊にも所属していなかった艦ではあるが、ロシアの鉄道会社は国策会社であるためロシア海軍の補助勢力として戦時の活躍が期待されていただけあって大型で高速力の性能を示し、捕獲直後は海軍の御用船「満州丸」として大阪商船が運航したが、戦後に正式に海軍へ編入され軍艦「満州」として通報艦に類別、測量任務などに使用された。
 なお日露戦争で捕獲されたロシア艦の中に、「マンチジューリヤ」と命名されていた同名の艦が存在するが、もう一隻の「マンチジューリヤ」は日本海軍編入後「関東」と命名され工作艦として使用されている。
 外国の地名を艦名とした当艦は非常に例外的な存在であるが、日進・日露両戦争から中国大陸における権益の焦点として多数の将兵が血を流した地であったため、旧艦名を漢字名に改めたただけに留めたと思われる。

通報艦 満州の歴史
「満州」「満州」=現在の中国東北部を指す地名。正確な名称は満洲であるが艦名は
満州となっている。旧艦名「マンチジューリヤ」をそのまま漢字名にしたものである
1901年 4月オーストリアのスタビリメント・テクニコ社にてロシア汽船「マンチジューリヤ」として竣工
1904年 1月長崎にて整備修理のため入渠
       2月17日日露戦争開戦に伴い、長崎にて海防艦「葛城」により捕獲される
       4月 7日大阪商船「満州丸」と改名され、海軍御用船として日露戦争に参加
1906年 3月 8日日本海軍軍艦籍に編入。通報艦に類別。「満州」と改名
1912年 8月28日類別標準の改定により通報艦が廃止されたため、二等海防艦に類別
1914年〜第一次大戦に参加。輸送任務や測量任務に従事
1923年 9月関東大震災に際して、相模湾の測量や被災者救援任務に従事
1931年 6月 1日海防艦の等級廃止により、海防艦に類別
1932年 4月 1日除籍。「廃艦第5号」と改名
1933年 9月15日魚雷の標的艦として使用され、館山沖にて沈没


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