潜水母艦 駒橋

Submarine Tender "Komahasi"


駒橋
潜水母艦「駒橋」(1918年)
スペックデータ(竣工時)
排水量:(常)1,230t ボイラー:宮原罐・重油石炭混焼×2基 燃料搭載量:石炭 230t
全長:64.01m
全幅:10.67m 主機:横置式往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×1基、2軸推進
吃水:3.55m
出力:1,200hp
武装:
40口径7.6cm単装砲3基
最大速力:13.9kt
航続距離:不明
乗員定数:86名
スペックデータ(機関換装(昭和8年)後)
排水量:(公)1,661t ボイラー:ロ号艦本式・石炭専焼×2基(暖房等補助用) 燃料搭載量:石炭  96t
        重油 163t
全長:64.01m
全幅:10.67m 主機:池貝式ディーゼル機関×2基、2軸推進
吃水:4.45m
出力:1,800hp
武装:
40口径7.6cm単装砲2基、
40口径7.6cm単装高角砲1基
最大速力:13.9kt
航続距離:10ktで13,450浬
乗員定数:102名

同型艦名(1隻)
駒橋"Komahasi"

潜水母艦 駒橋について
 当初は佐世保と台湾の間で交通船(港湾間での人員や貨物輸送を行う艦船)として使用される目的で設計された艦だが、結局潜水母艦として完成した(竣工当初には潜水母艦という艦種がなく雑役船に類別された)。
 潜水艦が発達により大型化してくると、このような小型の艦では母艦任務をこなせなくなり、後年は測量艦として使用され、昭和7〜8年に機関をディーゼルに換装・測量設備の充実などの改装工事を実施している。
 太平洋戦争中は本土近海での船団護衛や北方海域の測量などに従事し、昭和19年には対潜掃討を任務とする熊野灘部隊の旗艦となったが、終戦間近に基地としていた三重県尾鷲にて米軍機の空襲を受け大破着底した。戦後浮揚され巡視船にするため修理しようとの案も出たが老朽化のため実現には至らず、そのままスクラップにされている。

潜水母艦 駒橋の歴史
「駒橋」「駒橋」=山梨県東部の地名から取った名称
元の由来は相模川上流に架けられた橋の名前である
1912年10月 7日佐世保工廠にて雑役船(交通船)として起工
1913年 5月21日進水
1914年 1月20日雑役船「駒橋丸」として竣工
       5月25日雑役船(潜水艇母艦)に類別
       8月16日二等海防艦に類別。「駒橋」と改名
1920年 4月 1日水雷母艦に類別
1924年12月 1日潜水母艦に類別
1932年機関をディーゼルに換装。測量船として改装
1933年〜太平洋各地や中国沿岸部にて測量任務に従事
1941年12月〜太平洋戦争開戦。船団護衛や測量任務などに従事
1942年 9月29日キスカ島北方にて敵機の攻撃を受け損傷を負う
1944年 1月16日第三海上護衛隊熊野灘部隊旗艦となる
1945年 7月28日三重県尾鷲にて米軍機の空襲を受け大破着底。そのまま終戦を迎える
     11月30日除籍。1948年浮揚、翌年解体処分される


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