通報艦 春日(初代)

Scout Ship "Kasuga(1)"


春日
通報艦「春日」(1878年)
スペックデータ
排水量:(常)1,269t ボイラー:角罐・石炭専焼×4基 燃料搭載量:石炭 227t
全長:76.50m
全幅:8.84m 主機:直立型揺動蒸気機関(2気筒)×1基、外輪推進
吃水:3.66m
出力:300hp
武装:
30ポンド砲1基、8cm加濃砲4基、6ポンド砲2基、
25mm4連装ガトリング砲2基
最大速力:16.0kt
航続距離:不明
乗員定数:125名

同型艦名(1隻)
春日(初代)"Kasuga(1)"

通報艦 春日(初代)について
 通報艦とは日露戦争頃まで使用された艦種で、無線電信の発達以前には貴重な存在であった。艦隊の目となるため艦隊より前進して偵察を行い、敵艦と接触を果たした場合はその高速力と軽快さをもって駆け戻り、味方の艦隊へ敵情を通報するのが主任務である。また艦隊決戦時には艦隊に随伴して敵艦へ雷砲撃を決行し、敵水雷艇を蹴散らすというオールマイティな艦であった。まだ駆逐艦や軽巡洋艦が出てくる以前の艦の中では、通報艦が最も軽快でスマートなスタイルの艦であったといえよう。なお、外国艦の類別を訳す場合には、日本の通報艦のように偵察を行う艦艇(英語ではscout boat、仏語ではvidetteなど)と、海外植民地などを警護する艦艇(仏語のaviso、英語圏ではsloopに分類。日本では海防艦や航洋型砲艦などに分類)、および岸壁と沖の船舶間や港湾間で使者や通信を運ぶ任務を行う小型船(英語ではdispatch boat。日本では交通船や運貨船、内火艇などに分類)のいずれもが翻訳時に通報艦とされることがあるので注意が必要である。

 この通報艦「春日」は明治海軍創設時に鹿児島(薩摩)藩から編入されたもので、当時としては大型の木造外輪船である。海軍での正式名称は「春日艦」と呼ばれた。日清戦争以前に除籍されているため大きな戦闘で使用された事は無いが、海軍創設期の艦として、後の初代連合艦隊司令長官となる伊東祐亨や、現在でも(一部)使用されている軍艦艦名を表記するかな文字の原型を残した伊藤雋吉、初代常備艦隊司令長官や軍務局長などを務めた井上良馨など、歴代の艦長には錚々たる顔ぶれが揃っていた。また日露開戦で連合艦隊を率いた東郷平八郎も、阿波沖海戦の際に当艦へ砲術士官として乗り組んでいる。
 当サイトでは本艦の類別を通報艦としたが、実際には明治31年(1898年)に『艦艇類別標準』が制定される以前の艦であるため、公式に通報艦と呼ばれたことはない。


通報艦 春日(初代)の歴史
「春日」(初代)「春日」=奈良県東部の春日山から取った名称
1860年英国J・サミュエル・ホワイト社にて竣工
英国艦「キャンスー」[Keang-Soo](清国の江蘇(チャン・スー)[Jiang-Su]のこと)と命名
 清国沿岸部などで貨物船として利用
慶応3年11月 3日(西暦では1867年11月28日)長崎にて薩摩藩が16万両で購入。「春日丸」と命名
明治元年 1月 3日(西暦では1868年1月27日)戊辰戦争に参加
       1月 4日(西暦では1868年1月28日)
淡路島南方沖にて旧幕府軍軍艦「開陽丸」と砲撃戦を行う(阿波沖海戦)
明治2年 3月25日(西暦では1869年5月6日)
宮古湾にて旧幕府軍残党(榎本軍)の「回天丸」と交戦(宮古湾海戦)
明治3年 4月(西暦では1870年5月)鹿児島藩から明治政府へ献納される
      11月27日(西暦では1871年1月17日)艦籍編入。「春日艦」と改名
1875年江華島事件に際して釜山へ派遣される
1877年 2月〜西南戦争に参加
1894年 2月 2日除籍。対馬水雷団付属艦となる
1896年 4月 1日雑役船に類別
1902年廃船。売却処分


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