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スペックデータ | ||
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排水量:(常)1,269t | ボイラー:角罐・石炭専焼×4基 | 燃料搭載量:石炭 227t |
全長:76.50m | ||
全幅:8.84m | 主機:直立型揺動蒸気機関(2気筒)×1基、外輪推進 | |
吃水:3.66m | ||
出力:300hp |
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最大速力:16.0kt | ||
航続距離:不明 | ||
乗員定数:125名 |
春日(初代)"Kasuga(1)" |
この通報艦「春日」は明治海軍創設時に鹿児島(薩摩)藩から編入されたもので、当時としては大型の木造外輪船である。海軍での正式名称は「春日艦」と呼ばれた。日清戦争以前に除籍されているため大きな戦闘で使用された事は無いが、海軍創設期の艦として、後の初代連合艦隊司令長官となる伊東祐亨や、現在でも(一部)使用されている軍艦艦名を表記するかな文字の原型を残した伊藤雋吉、初代常備艦隊司令長官や軍務局長などを務めた井上良馨など、歴代の艦長には錚々たる顔ぶれが揃っていた。また日露開戦で連合艦隊を率いた東郷平八郎も、阿波沖海戦の際に当艦へ砲術士官として乗り組んでいる。
当サイトでは本艦の類別を通報艦としたが、実際には明治31年(1898年)に『艦艇類別標準』が制定される以前の艦であるため、公式に通報艦と呼ばれたことはない。
通報艦 春日(初代)の歴史 | |
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「春日」(初代) | 「春日」=奈良県東部の春日山から取った名称 |
1860年 | 英国J・サミュエル・ホワイト社にて竣工 英国艦「キャンスー」[Keang-Soo](清国の江蘇(チャン・スー)[Jiang-Su]のこと)と命名 |
清国沿岸部などで貨物船として利用 | |
慶応3年11月 3日 | (西暦では1867年11月28日)長崎にて薩摩藩が16万両で購入。「春日丸」と命名 |
明治元年 1月 3日 | (西暦では1868年1月27日)戊辰戦争に参加 |
1月 4日 | (西暦では1868年1月28日) 淡路島南方沖にて旧幕府軍軍艦「開陽丸」と砲撃戦を行う(阿波沖海戦) |
明治2年 3月25日 | (西暦では1869年5月6日) 宮古湾にて旧幕府軍残党(榎本軍)の「回天丸」と交戦(宮古湾海戦) |
明治3年 4月 | (西暦では1870年5月)鹿児島藩から明治政府へ献納される |
11月27日 | (西暦では1871年1月17日)艦籍編入。「春日艦」と改名 |
1875年 | 江華島事件に際して釜山へ派遣される |
1877年 2月〜 | 西南戦争に参加 |
1894年 2月 2日 | 除籍。対馬水雷団付属艦となる |
1896年 4月 1日 | 雑役船に類別 |
1902年 | 廃船。売却処分 |