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| スペックデータ | ||
|---|---|---|
| 排水量:(基)560t | ボイラー:ソーニクロフト罐・重油焚×2基 | 燃料搭載量:不明 |
| 全長:(水)65.4m | ||
| 全幅:9.52 | 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×2基、2軸推進 | |
| 吃水:1.75m | ||
| 出力:3,150hp |
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| 最大速力:16.0kt | ||
| 航続距離:不明 | ||
| 乗員定数:80名程度 | ||
| 唐津"Karatu" |
| 砲艦 唐津の歴史 | |
|---|---|
| 「唐津」 | 「唐津」=佐賀県北部の一地名から取った名称。 風光明媚な土地で、特に虹ノ松原は有名である |
| 1928年 6月 1日 | 上海にて米海軍砲艦「ルソン」として竣工 |
| 6月15日 | 河川砲艦(PR-7)へ類別変更 |
| 1941年秋 | 米アジア艦隊揚子江部隊を率いてフィリピンへ移動 |
| 1942年 5月 6日 | 日本軍の進攻により、コレヒドール沖で自沈(米海軍籍除籍は同年5月8日) |
| 5月末 | 日本海軍第103工作部の手により引き上げ。修理される |
| 8月 1日 | 日本海軍艦籍に編入。「唐津」と命名される |
| 1943年 9月28日 | パナイ島沖で米潜水艦「シスコ」を航空部隊との協力により撃沈 |
| 1944年 3月 3日 | ミンダナオ島沖で米潜水艦「ノーファル」と交戦。雷撃を受け大破 (米軍公式戦史では、この時点で沈没したとされているが誤りである) |
| 1945年 1月22日 | 米軍のマニラ進攻を受け、航空要員・非戦闘員を搭載し台湾へ脱出を図るが 米艦隊の包囲網を突破できず断念。マニラへ引き返す |
| 2月 5日 | 海軍部隊のマニラ撤収に際し、第103工作部(第31特別根拠地隊)の手により 爆砕処分される |
| 4月10日 | 除籍 |