砲艦 唐津

GunBoat "Karatu"
(USS Luzon(PR-7))



唐津
砲艦「唐津」(1942年)
スペックデータ
排水量:(基)560t ボイラー:ソーニクロフト罐・重油専焼×2基 燃料搭載量:不明
全長:(水)65.4m
全幅:9.52 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:1.75m
出力:3,150hp
武装:
7.6cm単装砲3基、機銃10丁
最大速力:16.0kt
航続距離:不明
乗員定数:80名程度

同型艦名(1隻)
唐津"Karatu"

砲艦 唐津について
 元は米国海軍砲艦「ルソン」[USS Luzon(PR-7)]で、米アジア艦隊揚子江部隊の旗艦であった。1941年秋に上海からフィリピンのマニラへ引き揚げたが、1942年5月に日本軍が進攻してきたためコレヒドール沖で自沈した。
 しかし日本軍がこれを引き上げ、修理の後に「唐津」と銘々して艦籍に編入したのである。日本海軍では第3南遣艦隊に所属し、沿岸部での対潜哨戒任務に従事した。1945年に今度は逆に米軍がマニラに進攻してきたため「唐津」は日本軍の手で爆破され放棄された。
 艦を引き上げたのも最後に自沈させたのも日本海軍第103工作部の手によるもので、この艦の数奇な運命を物語っているようでもある。

砲艦 唐津の歴史
「唐津」「唐津」=佐賀県北部の一地名から取った名称。
風光明媚な土地で、特に虹ノ松原は有名である
1928年 6月 1日上海にて米海軍砲艦「ルソン」として竣工
      6月15日河川砲艦(PR-7)へ類別変更
1941年秋米アジア艦隊揚子江部隊を率いてフィリピンへ移動
1942年 5月 6日日本軍の進攻により、コレヒドール沖で自沈(米海軍籍除籍は同年5月8日)
       5月末日本海軍第103工作部の手により引き上げ。修理される
       8月 1日日本海軍艦籍に編入。「唐津」と命名される
1943年 9月28日パナイ島沖で米潜水艦「シスコ」を航空部隊との協力により撃沈
1944年 3月 3日ミンダナオ島沖で米潜水艦「ノーファル」と交戦。雷撃を受け大破
(米軍公式戦史では、この時点で沈没したとされているが誤りである)
1945年 1月22日米軍のマニラ進攻を受け、航空要員・非戦闘員を搭載し台湾へ脱出を図るが
米艦隊の包囲網を突破できず断念。マニラへ引き返す
       2月 5日海軍部隊のマニラ撤収に際し、第103工作部(第31特別根拠地隊)の手により
爆砕処分される
       4月10日除籍


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2015,09,12(First Up 1999,08,28)