潜水母艦 迅鯨(2代)型

"Zingei(2)" Class Submarine Tenders


迅鯨
潜水母艦「迅鯨」(1923年)
スペックデータ(竣工時:【 】内は「長鯨」のもの)
排水量:(公)6,969t ボイラー:ロ号艦本式罐・石炭専焼×4基
     ロ号艦本式罐・石炭重油混焼×2基【1基】
燃料搭載量:石炭 2047t
        重油  402t
全長:115.82m
全幅:16.22m
吃水:5.89m 主機:パーソンス式オールギヤードタービン×2基、2軸推進
出力:7,500hp
最大速力:18.0kt
武装:
50口径14cm連装砲2基、
40口径7.6cm単装高角砲2基
航続距離:14ktで10,400浬
乗員定数:364名【399名】
スペックデータ(復原性能改善(昭和9年)後:【 】内は「長鯨」のもの)
排水量:(公)8,423t ボイラー:ロ号艦本式罐・石炭専焼×4基
     ロ号艦本式罐・石炭重油混焼×2基【1基】
燃料搭載量:石炭 2060t
        重油  402t
全長:115.82m
全幅:17.13m
吃水:6.57m 主機:パーソンス式オールギヤードタービン×2基、2軸推進
出力:7,500hp
最大速力:16.0kt
武装:
50口径14cm連装砲2基、
40口径7.6cm単装高角砲2基
水偵1機搭載
航続距離:14ktで10,400浬
乗員定数:364名【399名】

同型艦名(2隻)
迅鯨(2代)"Zingei(2)"長鯨(2代)"Tyougei(2)"[Tyôgei(2)]

潜水母艦 迅鯨型について
 八八艦隊計画で潜水艦隊の増強を計画した日本海軍は、それに付随して14,500トン型の水雷母艦(当時は潜水母艦という艦種は無かった)を二隻建造する決定をしたが、ワシントン軍縮会議の結果5,000トンクラスに規模を縮小して「迅鯨」型が建造された。
 このような補助艦艇の建造に海軍は費用節約策を講じていたが、この「迅鯨」型も船体を商船構造としたり廃艦となった戦艦「土佐」のボイラーを機関に流用したりと建造費用節約に苦心している。
 「迅鯨」型は海中型潜水艦一個潜水戦隊(三隻で一個潜水隊、三個潜水隊で一個潜水戦隊となる)の補給整備、指揮通信を行う能力を備えており、任務遂行中に敵と遭遇した場合を想定して軽巡洋艦並の武装を施されている。また改修後は偵察用に水上偵察機を一機搭載したが、戦前は水偵搭載が極秘事項となっており、水偵を運用している写真の撮影は禁止されていた。

潜水母艦 迅鯨型の歴史
「迅鯨」(2代)「迅鯨」=迅には「すみやか」という意味があり、波を
蹴立てて疾走する鯨をイメージした名称である
1922年 2月16日三菱長崎造船所にて起工
1923年 5月 4日進水
       8月30日水雷母艦として竣工
1924年12月 1日潜水母艦に類別。第一艦隊第一潜水戦隊に所属
1934年友鶴事件を受けて船体復原性能改善工事を実施
1939年11月〜練習艦となる
1940年11月〜潜水母艦任務へ復帰
1941年12月〜太平洋戦争に参加。第七潜水戦隊旗艦としてクェゼリンへ進出
1942年 7月〜ラバウル方面へ進出
1943年 1月15日〜潜水学校練習艦となり、瀬戸内海にて訓練任務に従事
1944年 8月〜沖縄方面への輸送任務に従事
       9月19日敵潜の雷撃を受け航行不能となり、瀬底島まで曳航される
      10月10日瀬底島にて米軍機の攻撃を受け沈没
      11月10日除籍。52年浮揚後、解体される
「長鯨」(2代)「長鯨」=長い(巨大な)鯨をイメージした名称である
1922年 3月11日三菱長崎造船所にて起工
1924年 3月24日進水
       8月20日水雷母艦として竣工
      12月 1日潜水母艦に類別。第二艦隊第二潜水戦隊に所属
1934年友鶴事件を受けて船体復原性能改善工事を実施
1935年頃練習艦となる
1941年12月〜太平洋戦争に参加。第二潜水戦隊旗艦としてカムラン湾へ進出
1942年 4月〜潜水学校練習艦となる
1943年 1月15日〜第七潜水戦隊旗艦となる
      11月29日第十一潜水戦隊旗艦となり、内海にて訓練任務に従事
1944年 8月〜沖縄方面への輸送任務に従事
1945年 6月 8日舞鶴付近にて触雷、損傷を負う
       7月30日舞鶴にて米軍機の攻撃を受け中破。8月15日終戦を迎える
      10月15日除籍。復員船として使用される
1946年 9月〜解体処分


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2015,09,06(First Up 1999,05,25)