伏見(2代)型 砲艦

"Husimi(2)" Class GunBoats


隅田(2代)
砲艦「隅田(2代)」(1940年)
スペックデータ
排水量:(公)350t ボイラー:ホ号艦本式・重油専焼×2基 燃料搭載量:重油 54t
全長:48.50m
全幅:9.80m 主機:艦本式オールギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:1.20m
出力:2,200hp
武装:
40口径7.6cm単装高角砲1基、25mm連装機銃1基
最大速力:17.0kt
航続距離:14ktで1400浬
乗員定数:61名

同型艦名(2隻)
伏見(2代)"Husimi(2)"隅田(2代)"Sumida(2)"

砲艦 伏見(2代)型について
 「熱海」型砲艦が就役してからも現地の艦隊からは砲艦の増強要請が相次いだ。これは艦齢の古い砲艦の行動能力が低下してきており作戦に支障が出てきたためである。そこで海軍は第三次補充計画で戦艦「大和」型や航空母艦「翔鶴」型などとともに砲艦「伏見」(2代)型の建造も計画した。
 「伏見」は完成後に艦尾形状に不具合が見つかったが、日華事変の最中でもあったため一旦引き渡しを済ませた後に呉工廠にて改善工事を行った。「隅田」は建造中だったため改善された設計で竣工している。
 竣工後は自力で大陸まで回航し、すぐに日華事変に参加。太平洋戦争全期間に渡って活躍しており、終戦後は中華民国軍に接収されている。

砲艦 「伏見(2代)」型の歴史
「伏見」(2代)「伏見」=現在、京都市南部の伏見区とされている地名から取った名称
元々は豊臣秀吉によって作られた城下町で、商工の中心地であった
1938年 7月15日藤永田造船所にて起工
1939年 3月26日進水
       7月15日竣工
1939年後半大陸へ自力回航後、ただちに日華事変に参加
1941年12月〜太平洋戦争に参加。長江方面の警備任務に従事
1944年11月26日安江付近で爆撃を受け大破着底。後に引き上げて上海へ曳航
1945年 8月15日上海にて航行不能の状態で終戦を迎える
1947年 5月 3日除籍
中華民国に接収され、国府軍軍艦「江鳳」(ジァン・フェン)[Jiang-Feng]と命名される
1949年中共軍へ投降。人民軍海軍所有となるが、消息は不明
「隅田」(2代)「隅田」=奥秩父に源を発し関東平野を流れる荒川の下流
部分(千住から下流)の隅田川から取った名称
1939年 4月13日藤永田造船所にて起工
      10月30日進水
1940年 5月31日竣工
1940年中盤大陸へ自力回航後、ただちに日華事変に参加
1941年12月〜太平洋戦争に参加。長江方面の警備任務に従事
1944年11月29日安江付近で爆撃を受け大破着底。後に引き上げて上海へ曳航
1945年 8月15日上海にて航行不能の状態で終戦を迎える
1947年 5月 3日除籍
中華民国に接収され、国府軍軍艦「江犀」(ジァン・シー)[Jiang-Xi]と命名される
1949年中共軍へ投降。人民軍海軍編入後、艦名を「涪江」(フー・ジァン)[Fu-Jiang]と改名
1960年代退役


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