砲艦 平遠

GunBoat "Heien"


平遠
砲艦「平遠」(1900年頃)
スペックデータ
排水量:(常)2,150t ボイラー:円罐・石炭専焼×4基 燃料搭載量:石炭 搭載量不明
全長:60.96m
全幅:11.89m 主機:直立型往復動蒸気機関(?気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:5.64m
出力:2,400hp
武装:
26cm単装砲1基、25口径12cm単装砲4基、47mm単装機銃3基、
37mm単装機銃2基、45cm魚雷発射管4門
最大速力:11.0kt
航続距離:不明
乗員定数:200名

同型艦名(1隻)
平遠"Heien"

砲艦 平遠について
 元は清国海軍北洋水師所属の装甲砲艦「平遠」(ピン・ユエン)[Ping-Yuen]だった艦で、1894年の黄海海戦で日本海軍に敗退して旅順口へ敗走、以後は出撃の機会もなく翌年に日本海軍へ降伏、接収されたものである。
 日本海軍籍編入後も漢字名称だったため艦名は変更されておらず、日本海軍艦として日露戦争に参戦したが、双島湾にて触雷沈没している。
 水線部に小規模な装甲を施していたため清国海軍では装甲砲艦と呼ばれていた。清国初の国産巡洋艦だが、砲はドイツ、装甲板はフランスからの輸入品を使用している。竣工当初の艦名「龍威」[Long-Wei]にちなみ、煙突後部のブルワークに美しい龍の飾り板があったところがいかにも清国艦らしい。

砲艦 平遠の歴史
「平遠」「平遠」=当時の清国海軍北洋水師の艦名銘々の典型で遠き(外国)を平らげ
治めるという意である。漢字名のため日本海軍編入後も艦名は変更されなかった
1886年清国福州船政局にて装甲砲艦「龍威」として起工
1888年進水
1889年竣工。翌年清国海軍「平遠」として北洋水師に就役
1894年〜日清戦争に参加。黄海海戦で敗走、以後は旅順口・威海衛へ籠もる
1895年 2月17日日本海軍へ降伏。接収される
       3月16日日本海軍籍へ編入
1898年 3月21日一等砲艦に類別
1904年〜第七艦隊に所属し、日露戦争に参加
       9月18日双島湾外で触雷、沈没
1905年 5月21日除籍


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写真はロシアのVseslav氏から提供を受けました。