択捉型 海防艦

"Etorohu" Class Escort Vessels


福江
海防艦「福江」(1943年)
スペックデータ
排水量:(公)1,020t ボイラー:ホ号艦本式罐・重油専焼×2基(補助缶) 燃料搭載量:重油 207t
全長:72.50m
全幅:9.10m 主機:艦本式22号10型ディーゼル機関×2基、2軸推進
吃水:3.05m
出力:4,200hp
武装:
45口径12cm単装砲3基、25mm連装機銃2基、
爆雷36発搭載(投射機1、投下台6)
最大速力:19.7kt
航続距離:16ktで8000浬
乗員定数:147名

同型艦名(14隻)
択捉"Etorohu"松輪"Matuwa"佐渡"Sado"
隠岐"Oki"六連"Muture"壱岐(2代)"Iki(2)"
対馬(2代)"Tusima(2)"若宮(2代)"Wakamiya(2)"平戸(2代)"Hirado(2)"
福江"Hukae"天草"Amakusa"満珠(2代)"Manzyu(2)"
干珠(2代)"Kanzyu(2)"笠戸"Kasado" 

択捉型海防艦について
 昭和16年(1941年)4月に連合艦隊は戦時体制となり日本海軍は仏印へ進駐を行った。同時期に米国は大西洋で船団護衛を開始しており、米国との開戦を避けられぬと考えた海軍は全面的に戦時建艦の実施を開始した。
 海防艦もこれまでの沿岸警備だけでなく海上護衛の要として大量建艦されることとなったが、新規に設計する時間が無く「占守」型の設計を流用し一部を簡易化するにとどまった。これが当「択捉」型である。しかし元々複雑な「占守」型の設計を使用したため簡易化にも限度があり、急造計画に沿った形で大量に建艦というわけには行かなかったようだ。また「択捉」型が順次起工されていった昭和17年に海防艦は軍艦から除外されたため、居住関係などの簡易化も図られている。
 日本海軍が船団護衛や対潜作戦に対して明確なビジョンを持っていなかったことから、竣工当初の時点では主砲以外は貧弱な装備であったが、大戦中に水中聴音機やレーダーの発達に伴い順次これらも装備されるようになっている。  当クラスは昭和18年から順次竣工し全部で14隻の姉妹艦が就役、船団護衛などに従事したが、終戦時に生き残っていた艦は航行不能だった「笠戸」も含めて5隻だけであった。

択捉型海防艦の歴史
「択捉」「択捉」=北方領土の一つ択捉島から取った名称
本州・北海道・九州・四国の4大島を除くと日本最大の島嶼である
1943年 5月15日日立桜島造船所にて竣工
       6月 1日第1海上護衛隊に編入。船団護衛任務に従事
1944年12月25日千島方面根拠地隊に編入。本土〜台湾間の船団護衛などに従事
1945年 4月10日大湊警備府に編入。舞鶴・大湊方面の船団護衛などに従事
       8月15日稚内にて終戦を迎える
      10月 5日除籍。同月12日特別輸送艦(復員船)に指定される
1946年12月30日特別保管艦に指定される
1947年 8月 5日戦時賠償艦として米国へ引き渡されるが、同年9月解体処分
「松輪」「松輪」=千島列島中部にある松輪島から取った名称。火山島で
ラッコやオットセイなど希少動物の生息地でもある
1943年 3月23日三井造船玉野にて竣工
       4月 1日第1海上護衛隊に編入。本土〜台湾間の船団護衛などに従事
1944年 1月佐世保工廠にて電探装置の設置工事を実施
       5月24日シンガポール東方にて敵潜水艦の雷撃を受け損傷
       8月22日マニラ湾沖にて米潜「ハーダー」の雷撃を受け沈没
      10月10日除籍
「佐渡」「佐渡」=日本海に浮かぶ佐渡島から取った名称
現在は新潟県に属し、江戸時代には幕府直轄の金山があった
1943年 3月27日日本鋼管にて竣工。同日付けで第1海上護衛隊に編入
       4月〜本土〜台湾間の船団護衛などに従事
1944年 8月22日マニラ湾沖にて米潜「ハーダー」の雷撃を受け沈没
      10月10日除籍
「隠岐」「隠岐」=島根県に属する隠岐諸島から取った名称
昔は隠岐国として一国をなしていた
1943年 3月28日浦賀船渠にて竣工。同日付けで第2海上護衛隊に編入
       4月〜本土〜トラック間の船団護衛などに従事
1944年 7月18日横須賀鎮守府部隊に編入。横須賀〜父島間の船団護衛に従事
      11月21日父島からの帰投中に米潜「スキャバードフィッシュ」の雷撃を受け中破
      11月末〜横須賀へ回航され、横須賀工廠にて修理を実施
1945年 3月 5日修理完了。第1護衛艦隊に編入
       8月15日釜山港にて終戦を迎える。同月20日に釜山港にて触雷、小破
      11月20日除籍。同年12月1日特別輸送艦(復員船)に指定される
1947年 1月 6日特別保管艦に指定される
       8月29日戦時賠償艦として中華民国へ引き渡し。艦名を「固安」(グー・アン)[Gu-An]と改称
1949年 2月機関不調のため青島にて修理中、中共軍に鹵獲される
人民軍海軍に編入され、艦名を「長白」(チャン・バイ)[Chang-Bai]と改称
1955年頃敷設艦に改造され、機雷敷設などに従事
1982年人民軍海軍除籍
「六連」「六連」=山口県に属し関門海峡西口の北方にある六連島から取った名称
ここには明治4年に灯台が、昭和14年には砲台が設置された
1943年 7月31日日立桜島造船所にて竣工
       8月15日第2海上護衛隊に編入。本土〜トラック間の船団護衛に従事
       9月 2日トラック島北方にて米潜「スナッパー」の雷撃を受け沈没
      11月 1日除籍
「壱岐」(2代)「壱岐」=初代「壱岐」は戦艦のため国名だったが、この海防艦「壱岐」は島名から
取った名称。長崎県に属し九州と朝鮮半島の中間点に存在する壱岐島から取ったもの
1943年 5月31日三井造船玉野にて竣工。同日付けで呉鎮守府に編入
       6月〜本土〜パラオ間の船団護衛などに従事
1944年 1月呉工廠にて電探装置の設置工事を実施
       4月10日第1海上護衛隊に編入
       5月24日シンガポール東方にて米潜「レートン」の雷撃を受け沈没
       7月10日除籍
「対馬」(2代)「対馬」=初代「対馬」(新高型巡洋艦)は国名だったが、この海防艦「対馬」は
島名から取った。長崎県に属し壱岐と同様、九州と朝鮮半島の中間に存在する
1943年 7月28日日本鋼管にて竣工
       8月15日第1海上護衛隊に編入。本土〜シンガポール間の船団護衛に従事
1944年 3月 1日輸送船「徳島丸」と接触事故。艦後部切断、大破
      〜9月シンガポールにて修理を行う
      11月15日第101戦隊に編入。高雄方面の船団護衛に従事
1945年 4月〜朝鮮方面の船団護衛に従事
       6月〜佐世保工廠にて入渠修理。修理中に終戦を迎える
      10月 5日除籍。特別輸送艦(復員船)に指定される
1947年 7月31日戦時賠償艦として中華民国へ引き渡し。艦名を「臨安」(リン・アン)[Lin-An]と改称
1949年 5月中華民国政府の台湾脱出により、上海から台湾へ脱出
1950年代敷設艦となり、機雷敷設などに従事
1963年台湾海軍除籍
「若宮」(2代)「若宮」=島嶼の名称。長崎県壱岐諸島にある若宮島から取った名称
1943年 8月10日三井造船玉野にて竣工
       8月30日第1海上護衛隊に編入。高雄・シンガポール方面の船団護衛に従事
      11月20日舟山島南方にて米潜「ガジョン」の雷撃を受け沈没
1944年 1月 5日除籍
「平戸」(2代)「平戸」=長崎県平戸諸島の主島である平戸島から取った名称
江戸時代にオランダ商館があったことで有名
1943年 9月28日日立桜島造船所にて竣工
      11月 1日第2海上護衛隊に編入。トラック・サイパン方面の船団護衛に従事
1944年 7月17日第1海上護衛隊に編入。マニラ・シンガポール方面の船団護衛に従事
       9月12日海南島東方にて米潜「グローラー」の雷撃を受け沈没
      11月10日除籍
「福江」「福江」=長崎県五島列島の主島福江島から取った名称
現在はフクエと読むが昔はフカエと読みそれが艦名となっている
1943年 6月28日浦賀船渠にて竣工
       7月15日第2海上護衛隊に編入。トラック方面の船団護衛などに従事
1944年 7月18日大湊警備部に編入。北海道方面の船団護衛などに従事
1945年 3月 1日石垣島付近で敵機の攻撃を受け中破
       7月15日八戸港外で敵機の銃撃を受け損傷
       8月15日終戦を迎える
      10月 5日除籍。特別輸送艦(復員船)に指定される
1947年 7月16日戦時賠償艦として英国へ引き渡されるが、後に解体処分
「天草」「天草」=熊本県宇土半島南西にある天草諸島から取った名称
江戸初期の島原の乱で戦場となったことは有名である
1943年11月20日日立桜島造船所にて竣工。同日付けで第2海上護衛隊に編入
      12月〜本土〜トラック間の船団護衛などに従事
1944年 7月18日横須賀鎮守府部隊に編入。八丈・父島方面の船団護衛に従事
1945年 2月16日伊豆大島東方にて敵機の銃撃を受け損傷
       2月末〜三陸・北海道方面の船団護衛に従事
       8月 9日女川湾にて敵機の攻撃を受け沈没
       9月15日除籍
「満珠」(2代)「満珠」=関門海峡の東口にある満珠島から取った名称
壇ノ浦古戦場の北に位置する潮の流れの速い場所である
1943年11月30日三井造船玉野にて竣工。同日付けで第2海上護衛隊に編入
      12月〜本土〜トラック間の船団護衛などに従事
1944年 3月30日連合艦隊付属に編入。機動部隊の補給船団護衛に従事
1945年 1月31日カムラン湾にて敵潜水艦の雷撃を受け中破
       4月 3日香港にて敵機の爆撃を受け大破、擱座する
       5月 3日除籍。後に解体処分
「干珠」(2代)「干珠」=関門海峡の東口にあり満珠島の西隣にある干珠島から取った
名称。日本書紀に出てくる「しおひのたま」「しおみちのたま」から取られた島名
1943年10月30日浦賀船渠にて竣工。同日付けで第1海上護衛隊に編入
      11月〜本土〜シンガポール間の船団護衛などに従事
1944年 3月30日連合艦隊付属に編入。機動部隊の補給船団護衛に従事
1945年 8月15日元山沖にて触雷、損傷。後に自沈処分される
       9月15日除籍
「笠戸」「笠戸」=山口県下松市に属する周防灘の一島笠戸島から取った名称
北西に位置する大島半島とともに笠戸湾を形成する
1944年 2月27日浦賀船渠にて竣工
       3月20日連合艦隊付属に編入。機動部隊の補給船団護衛に従事
       4月27日パラオ北方にて米潜水艦「トリガー」の雷撃を受け中破
      10月〜修理後、本土〜シンガポール間の船団護衛に従事
1945年 4月〜北海道方面の船団護衛に従事
       6月22日小樽沖にて米潜水艦の雷撃を受け大破
       8月15日小樽にて大破したまま終戦を迎える
      11月30日除籍。後に解体処分


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