第4号型 駆潜艇

Submarine Chaser "No.4" Class


第8号
第8号駆潜艇(1938年:Photo from Wikimedia Commons)
スペックデータ
排水量:(基)291t ボイラー:−−−−− 燃料搭載量:重油 20t
全長:56.2m
全幅:5.6m 主機:艦本式22号6型ディーゼル機関×2基、2軸推進
吃水:2.1m
出力:2,500hp
武装:
40mm連装機銃1基、25mm単装機銃3基、
爆雷36個(投射機2、投下軌条1)
最大速力:20.0kt
航続距離:14ktで2,000浬
乗員定数:59名

同型艦名(9隻)
第4号"No.4"第5号"No.5"第6号"No.6"
第7号"No.7"第8号"No.8"第9号"No.9"
第10号"No.10"第11号"No.11"第12号"No.12"

第4号型駆潜艇について
 「第1号」型駆潜艇「第3号」駆潜艇に続いてマル3計画で建造された駆潜艇。基本的に「第3号」の設計を踏襲した改良型である。なお、海軍の公式資料では当クラスまでの12隻を「第1号」型の準同型としているため、資料によっては「第1号」型に含めているものが見受けられる。
 従前のクラスよりも、艦橋構造の小型化や煙突周辺の上部構造物の縮小・撤去、船体外板の軽量化など復原性改善や排水量低減のための工夫が施されており、「第3号」と同様に機関の低出力化のため速度性能こそ向上しなかったものの、航続距離は延伸している。
 太平洋戦争では全艇が南方海域へ進出して船団護衛などに従事しているが、終戦時に残存していたのは「第5号」と「第9号」の2隻のみであった。

第4号型駆潜艇の歴史
「第4号」 
1938年 1月19日大阪鉄工所桜島造船所にて起工
       9月13日進水
      12月28日竣工
1941年12月太平洋戦争開戦時、第21駆潜隊に所属し南方で行動
1945年 8月13日スラバヤ西水道にて触雷、沈没
1947年 5月 3日除籍
「第5号」 
1938年 1月25日三菱重工横浜船渠にて起工
       7月28日進水
      12月 6日竣工
1941年12月太平洋戦争開戦時、第21駆潜隊に所属し南方で行動
1945年 8月15日終戦時、ジャカルタにて残存
1946年 7月11日シンガポール沖にて自沈処分
       8月10日除籍
「第6号」 
1938年 7月 5日鶴見製鉄造船(旧浅野造船所)にて起工
1939年 2月 6日進水
       5月20日竣工
1941年12月太平洋戦争開戦時、第21駆潜隊に所属し南方で行動
1944年 3月30日パラオ近海にて米艦載機の攻撃を受け大破擱座。船体は放棄される
      10月10日除籍
「第7号」 
1937年10月30日鶴見製鉄造船にて起工
1938年 6月10日進水
      11月15日竣工
1941年12月太平洋戦争開戦時、第11駆潜隊に所属し南方で行動
1945年 4月11日ニコバル諸島東方沖にて英軍機の攻撃を受け沈没
       5月25日除籍
「第8号」 
1938年 1月10日玉造船所(後の三井造船玉野事業所)にて起工
       8月 9日進水
      11月30日竣工
1941年12月太平洋戦争開戦時、第11駆潜隊に所属し南方で行動
1945年 3月 4日マラッカ海峡にて英潜「トレンシャント」「テラピン」の攻撃により沈没
1947年 5月 3日除籍
「第9号」 
1938年 5月10日三菱重工横浜船渠にて起工
      10月15日進水
1939年 5月 9日竣工
1941年12月太平洋戦争開戦時、マレー作戦に参加
1945年 1月19日マラッカ海峡にて英潜「ポーパス」を撃沈(航空機と共同)
       4月香港から門司へ輸送船団(ホモ03船団)を護衛するが、敵機の攻撃により船団壊滅
当艇は本土へ帰還する
       8月15日終戦時、呉にて残存
      12月20日除籍。特別輸送艦に指定され復員輸送に従事
1947年10月 3日戦時賠償として中華民国へ譲渡。艇名を「接31」と改称
1949年 9月艇名を「駆潜12」と改称
1950年 1月艇名を「海達」(ハイ・ダ)[Hai-Da]と改称(「海宏」(ハイ・ホン)説あり)
1951年 1月警備艇となり、艇名を「富陵」(フー・リン)[Fu-Ling]と改称(「雅龍」(ヤー・ロン)説あり)
1954年艇名を「渠江」(ク・チャン)[Qu-Jiang]と改称
1955年 3月16日台湾海軍除籍
「第10号」 
1938年 9月16日大阪鉄工所桜島造船所にて起工
1939年 1月31日進水
       6月15日竣工
1941年12月太平洋戦争開戦時、舞鶴鎮守府所属として警備任務に従事
1944年 5月 2日アンガウル島沖にて座礁。船体は大破・放棄となる
      11月10日除籍
「第11号」 
1938年 1月19日鶴見製鉄造船にて起工
       6月28日進水
1939年 2月 2日竣工
1941年12月太平洋戦争開戦時、舞鶴鎮守府所属として警備任務に従事
1943年11月 6日ブカ島西方沖にて米軍機の攻撃を受け沈没
1945年 9月30日除籍
「第12号」 
1938年 7月15日玉造船所にて起工
1939年 2月 8日進水
       4月30日竣工
1941年12月太平洋戦争開戦時、舞鶴鎮守府所属として警備任務に従事
1944年 8月13日(7月13日説あり)ダバオ湾口(東ダバオ州南方)にて米潜「ブルーギル」の雷撃に
より沈没
1945年 9月30日除籍


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