第1号型 駆潜艇

Submarine Chaser "No.1" Class


第2号
第2号駆潜艇(1934年頃:Photo from Wikimedia Commons)
スペックデータ(竣工当初の数値)
排水量:(基)266t ボイラー:−−−−− 燃料搭載量:重油 26t
全長:65.3m
全幅:5.9m 主機:艦本式22号8型ディーゼル機関×2基、2軸推進
吃水:1.5m
出力:3,400hp
武装:
40mm連装機銃1基、後に25mm単装機銃を増設、
爆雷36個
最大速力:24.0kt
航続距離:14ktで1,500浬
乗員定数:65名

同型艦名(2隻)
第1号"No.1"第2号"No.2" 

第1号型駆潜艇について

 第一次大戦でドイツ海軍が大量に投入した潜水艦に対抗するため、イギリス海軍では対潜能力を持つ小型艇「Pボート」(Pはパトロールの略)を量産した。この対潜用小艇を改良して、アメリカ海軍が量産したのが鋼製大型の「イーグル」艇と木製小型の「Submarine Chaser(SC)」と呼ばれる艇であった。

 「駆潜艇」はアメリカのSubmarine Chaserを日本語に訳したものであるが、日本海軍での歴史は浅く昭和8年(1933年)5月22日の艦艇令改正により『艦艇特務艦艇類別標準』に特務艇の一種として追加されている。類別が追加されたのは、新たな艇としてマル1計画で建造が予定されたことによるが、その計画で建造されたのが当クラスの2隻である。
 日本海軍では駆潜艇の任務を、防備隊の主要戦力として国内重要港湾の警備や湾口・海峡水道の対潜哨戒に使用するものとしていたが、昭和16年頃からこれらの任務は駆潜特務艇に譲り、大型の駆潜艇は南方へ進出しての任務へとシフトしていくことになった。

 当クラスは、国産初の駆潜艇ということで非常に凝った設計が施されており、高速発揮のため船体は細く設計されていたが、そのため復原性が良くなく外洋での凌波性も低かったと言われている。友鶴事件や第四艦隊事件が発生すると、当クラスも復原性能や船体強度の問題から性能改善工事が施されたが、そのため排水量が増加し速度性能などが低下した(改修後の「第1号」艇で公試排水量376トン、最高速度21.1ノットを記録)。


第1号型駆潜艇の歴史
「第1号」 
1933年 6月19日浦賀船渠にて「第一駆潜艇」として起工
      12月23日進水。特務艇(駆潜艇)「第1号」と命名
1934年 3月24日竣工。竣工直後から性能改善工事を実施
1938年日華事変勃発のため、華中方面で作戦行動
1940年 4月 1日類別を特務艇から艦艇へ変更。駆潜艇に類別
1941年12月太平洋戦争開戦時、第3艦隊第1根拠地隊に所属しフィリピン方面で行動
1945年 8月15日スラバヤにて終戦を迎える
1946年 7月11日シンガポール沖にて自沈処分される
       8月10日除籍
「第2号」 
1933年 6月 9日石川島造船所深川工場にて「第二駆潜艇」として起工
      12月 2日進水。特務艇(駆潜艇)「第2号」と命名
1934年 3月25日竣工。竣工直後から性能改善工事を実施
1938年日華事変勃発のため、華中方面で作戦行動
1940年 4月 1日類別を特務艇から艦艇へ変更。駆潜艇に類別
1941年12月太平洋戦争開戦時、第3艦隊第1根拠地隊に所属しフィリピン方面で行動
1945年 6月27日(17日説あり)バリ海ロンボク島北方にて米潜「ブルーバック」の雷撃により沈没
       8月10日除籍


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