コルベット 東(「甲鉄艦」)

Corvette "Azuma"(ex "Koutetukan")


東
コルベット「東」(1880年頃)
スペックデータ
排水量:(常)1,358t ボイラー:マゼリン式罐・石炭専焼×2基 燃料搭載量:石炭200t
全長:58.97m
全幅: 9.60m 主機:マゼリン式水平型直動蒸気機関×2基、2軸推進
吃水: 4.30m
出力:1,200hp
武装:
300pdr(27.9cm口径)前装砲1基、16.5cm前装砲4基、
手回式6連装ガトリング砲(口径不明)1基
最大速力:10.5kt
航続距離:9ktで1,200浬
乗員定数:135名

同型艦名(1隻)
東"Azuma"

コルベット 東について
 江戸幕府が1867年(慶応3年)にアメリカへ派遣した訪米使節団が購入を約束した装甲艦「ストーンウォール」号[Stonewall]だったが、戊辰戦争勃発により幕府と新政府間で中立を保った米側は艦の売却を行わず、1869年になってようやく明治政府に売却が行われた。購入当時は「甲鉄」(正式には「甲鉄艦」)と呼ばれていたが、これは英語のIronclad(装甲艦)を和訳したものであり、艦種を表す名称で固有の艦名とは言いがたいものであった。
 売却当時、明治政府は旧幕府海軍率いる榎本武揚との内戦を続けており、旧幕府軍は本艦奪取のため強行接舷・切り込みの作戦を立てたものの戦闘(宮古湾海戦)は失敗に終わっている。
 1872年に艦名を「東」(正式には「東艦」)に改められ、佐賀の乱や台湾出兵、西南戦争などに参加した後、1888年に軍艦籍を除籍された。
 ちなみに、上質の鉄鋼を利用していた船体鋼材は、解体後に浅草火力発電所に設置する変圧器に再利用されたと伝えられる。
 なお当サイトでは本艦の類別をコルベットとしたが、正式に類別は定められておらず、船体形状から区別すればブリッグ[brig]と呼ばれる帆船形状となる。

コルベット 東の歴史(一部日付は旧暦のもの)
「東」「東」=方角を表す言葉。転じて東国・東方全域を指すこともある。
1863年アメリカ南部連合の発注により仏アルマン兄弟社で起工
1864年 6月21日進水。艦名を「ストーンウォール」と命名
 アメリカ北部合衆国からの異議により引渡契約が破棄される
デンマークへ売却され艦名を「スタークデル」[Staerkodder]と改名
      10月25日竣工
      10月30日戦争(第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争)終結のためデンマークが受領拒否
1865年 1月24日フランスに繋留中だった艦をアメリカ南軍が奪取。艦名を「ストーンウォール」へ戻す
スペインを経由し、ハバナ(キューバ)へ逃げ込む
       5月 6日ハバナにて南軍敗北を知り、艦はキューバへ売却される
1866年頃アメリカ政府がキューバから本艦を買い戻すが、海軍ドックに繋留されたままとなる
1867年江戸幕府からの購入打診があり、前金受領の後、横浜へ回航
1868年幕府・新政府間の中立の立場から、アメリカは売却を行わず待機となる
1869年 2月 3日(旧暦)明治政府へ売却される。艦名を「甲鉄艦」とする
       3月(旧暦)明治政府軍に所属し、宮古湾(岩手県)へ進出
同月25日、榎本武揚軍の本艦奪取作戦により交戦(宮古湾海戦)し勝利する
       4月 9日(旧暦)箱館湾へ進出。海戦勃発(箱館湾海戦)
1871年10月28日(旧暦)海軍規則制定により三等軍艦(中艦)へ分類
1872年10月 5日(旧暦)等級更正のため二等軍艦(中艦)へ分類
1872年12月 7日艦名を「東」と改名
1874年 2月佐賀の乱勃発のため出動
       5月台湾出兵に参加
       8月19日長崎停泊中に台風に遭遇。沈没着底
 浮揚後、横須賀へ回航され修理を実施。完了後復帰
1877年西南戦争勃発により瀬戸内海での警備任務に従事
1888年除籍。後に解体処分


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