第112号型 駆潜特務艇

"No.112" Class Auxiliary Submarine Chaser (ex Koninklijke Marine "Mijnenveger van de A-Klasse")


第112号
第112号駆潜艇(1930年頃。蘭海軍掃海艇「B」艇時代の姿)
スペックデータ
排水量:(基)180t ボイラー:水管罐・重油専焼×1基 燃料搭載量:重油 40t
全長:45.0m
全幅:6.0m 主機:直立型往復動蒸気機関(3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:1.5m
出力:700hp
武装:
短5cm単装砲1基、25mm連装機銃1基、同単装機銃1基、
13mm機銃1基、爆雷8発
最大速力:13.5kt
航続距離:不明
乗員定数:30名

同型艦名(3隻)
第112号"No.112"第113号"No.113"第116号"No.116"

第112号型駆潜特務艇について
 元はオランダ海軍の「A」型掃海艇で、太平洋戦争開戦時点の蘭領東インドにあった最も旧式な掃海艇であった。「A」型掃海艇は第一次大戦時にドイツ海軍が使用していた掃海艇「FM」型の設計を改良したもので、1920年代末に4隻が建造されている。
 全艇とも1930年初頭に東インドへ回航されスラバヤを拠点に活動していたが、太平洋戦争が開戦し日本軍がスラバヤに侵攻した際に自沈した。その後、スラバヤを占領した日本軍の手により3隻(「D」艇を除く)が浮揚され、日本海軍籍に編入となり整備ののちに根拠地隊へ配備された。オランダ海軍時代は機銃のみの軽武装であったが、日本軍接収後の修理の際に5センチ砲や25ミリ機銃や爆雷が搭載されるなど強力な武装が施された。
 戦争中は各艇とも港湾周辺での対潜哨戒や警備任務などに従事していたが、3隻とも戦没してしまっている。

第112号型駆潜特務艇の歴史
「第112号」 
1928年 9月22日蘭ウィレムスオールト海軍工廠にて掃海艇「B」艇として起工
1929年 9月24日進水
1930年 8月 4日竣工。同年10月スラバヤへ回航される
1942年 3月 1日日本軍の侵攻を受けスラバヤにて自沈(日本軍の攻撃により大破着底説あり)。
後に日本軍が捕獲し整備を実施
      12月20日艇名を「第112号」駆潜特務艇とし、整備完了後、日本海軍籍に編入
1945年 6月 4日ジャワ海(カリマンタン島南方)にて米軍機の攻撃を受け沈没
 除籍年月日不明
「第113号」 
1928年 9月13日蘭ウィレムスオールト海軍工廠にて掃海艇「A」艇として起工
1929年 4月19日進水
1930年 8月 4日竣工。同年10月スラバヤへ回航される
1942年 2月28日スラバヤにて日本軍の攻撃により大破、翌日自沈する。
後に日本軍が捕獲し整備を実施
1943年 1月17日艇名を「第113号」駆潜特務艇とし、整備完了後、日本海軍籍に編入
1945年 6月23日スラバヤ北東沖にて米潜「ハードヘッド」の攻撃により沈没
 除籍年月日不明
「第116号」 
1929年 4月19日蘭ウィレムスオールト海軍工廠にて掃海艇「C」艇として起工
1929年末進水
1930年 8月 4日竣工。同年10月スラバヤへ回航される
1942年 3月 6日日本軍の侵攻を受けスラバヤにて自沈。後に日本軍が捕獲し整備を実施
1943年 4月 8日艇名を「第116号」駆潜特務艇とし、日本海軍籍に編入
1944年11月13日マニラ湾口(コレヒドール島南西沖)にて米艦載機の攻撃を受け沈没
 除籍年月日不明


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