第102号型 駆潜特務艇

"No.102" Class Auxiliary Submarine Chaser (ex Koninklijke Marine "Mijnenveger van de Ardjoeno-Klasse")


第102号
第102号駆潜艇(1942年:Photo from Wikimedia Commons)
スペックデータ
排水量:(基)80t ボイラー:−−−−− 燃料搭載量:詳細不明
全長:26.6m
全幅:4.5m 主機:カーマス式ガソリンエンジン×2基、2軸推進
吃水:1.0m
出力:1,000hp
武装:
13mm機銃等、爆雷8〜32発、
最大速力:15.0kt
航続距離:不明
乗員定数:不明

同型艦名(5隻)
第102号"No.102"第104号"No.104"第109号"No.109"
第110号"No.110"第118号"No.118" 

第102号型駆潜特務艇について
 元はオランダ海軍の「アルジョエノ」型掃海特務艇の艇であるが、他の捕獲したオランダ海軍小艦艇と同様、自沈していたところをスラバヤ攻略の際に日本軍が捕獲、日本海軍籍に編入したものである。なお「第118号」艇(旧蘭海軍「サラク」[Salak])のみは捕獲時点で未竣工であったため、第102工作部の手により竣工させられてからの編入となった。
 整備完了(「第118号」艇は建造工事完了)後は根拠地隊へ配備され港湾警備などに従事したが、終戦までに2隻が戦没しており、生き残った艇は終戦後にオランダ海軍が接収したが、その後のインドネシア独立戦争の混乱で消息は不明となっている。
 なお、「第101号」駆潜特務艇と同様、搭載機関を資料によっては米キャタピラー社製のディーゼルエンジンとしているものが見受けられるが、この艇についても正誤の判断が付かないため同様の扱いとした。

駆潜特務艇第102号の歴史
「第102号」 
1940年代初頭スラバヤの蘭海軍工廠にて掃海特務艇「アルジョエノ」[Ardjoeno]として竣工
1942年 3月日本軍の侵攻を受けタンジョン・プリオクにて自沈。後に日本軍が捕獲
       7月10日艇名を「第102号」駆潜特務艇とし、日本海軍籍に編入
 以降の経歴は不詳(1945年戦没との説あり)
「第104号」 
1940年代初頭スラバヤの蘭海軍工廠にて掃海特務艇「ガデー」[Gedeh]として竣工
1942年 3月日本軍の侵攻を受けタンジョン・プリオクにて自沈。後に日本軍が捕獲
      10月15日艇名を「第104号」駆潜特務艇とし、日本海軍籍に編入
1945年 8月15日終戦時、バタビアにて残存。オランダ軍に接収される。以降の経歴は不詳
「第109号」 
1940年代初頭スラバヤの蘭海軍工廠にて掃海特務艇「カウイ」[Kawi]として竣工
1942年 3月日本軍の侵攻を受けタンジョン・プリオクにて自沈。後に日本軍が捕獲
      12月20日艇名を「第109号」駆潜特務艇とし、日本海軍籍に編入
1943年 8月14日ボルネオ島バリクパパンにて米軍機の攻撃を受け沈没
 除籍年月日不明
「第110号」 
1940年代初頭スラバヤの蘭海軍工廠にて掃海特務艇「ラオエ」[Lawoe]として竣工
1942年 3月日本軍の侵攻を受けタンジョン・プリオクにて自沈。後に日本軍が捕獲
      12月20日艇名を「第110号」駆潜特務艇とし、日本海軍籍に編入
1945年 8月15日終戦時、スラバヤにて残存。オランダ軍に接収される。以降の経歴は不詳
「第118号」 
1941年頃スラバヤの蘭海軍工廠にて掃海特務艇「サラク」[Salak]として起工
1942年 3月日本軍の侵攻を受け建造工事中断。後に日本軍が捕獲
1944年 7月31日艇名を「第118号」駆潜特務艇とし、日本海軍籍に編入
1945年 8月15日終戦時、スラバヤにて残存。オランダ軍に接収される。以降の経歴は不詳


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2015,10,17