砲艦 安宅

GunBoat "Ataka"


安宅
砲艦「安宅」(1920年代:性能改善工事実施前)
スペックデータ(竣工時)
排水量:(公)956t ボイラー:ロ号艦本式罐・石炭専焼×2基 燃料搭載量:石炭 235t
全長:71.7m
全幅:9.70m 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:2.20m
出力:1,700hp
武装:
45口径12cm単装砲2基、40口径7.6cm単装高角砲2基
最大速力:16.0kt
航続距離:12ktで2,500浬
乗員定数:118名
スペックデータ(復原性能改善(昭和9年)後)
排水量:(公)1,110t ボイラー:ロ号艦本式罐・石炭重油混焼×2基 燃料搭載量:石炭 239t
全長:71.7m
全幅:9.70m 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:2.41m
出力:1,700hp
武装:
45口径12cm単装砲2基、40口径7.6cm単装高角砲2基
(特定工事により重機関銃6基が追加された)
最大速力:16.0kt
航続距離:12ktで2,500浬
乗員定数:118名

同型艦名(1隻)
安宅"Ataka"

砲艦 安宅について
 第一次世界大戦後も大陸では政情不安が続き、大陸における日本の権益保護の必要性が高まるなか大陸沿岸警備の砲艦が「宇治」「嵯峨」の二隻だけでは戦力不足であるとの認識から建造された砲艦。
 「宇治」「嵯峨」の実績から能力不十分な点を改良し、また河川用砲艦群の旗艦としても使用できる砲艦として建造されたが、当時の他艦種と同様甲板上に過大な装備を行ってしまい重心が高くなっている。ちょうど建造中に船体の復原性問題がクローズアップされたため「安宅」も完成後に重心試験を行った結果、復原性不足と確認され海軍引き渡し後に吃水線部にバルジを装着する工事が行われている。さらに昭和9年にはバラストを積み込んだため排水量がかなり増大している。
 余談ではあるが計画当初この艦の名前は「勿来(なこそ)」とする予定であったが、海軍内部から「大陸へ派遣する艦の名前に『来ル勿(なか)レ』とは不謹慎であり、国際親善上問題である」との意見が出たため「安宅」に改められた経緯がある。

砲艦 安宅の歴史
「安宅」「安宅」=現在の石川県南西部の一地名から取った名称。昔は奥州へ旅する時の
関所が存在した。謡曲「安宅」や歌舞伎「勧進帳」の舞台でもある
1921年 8月15日横浜船渠にて砲艦「勿来」として起工
      10月11日艦名を「安宅」と改名
1922年 4月11日進水
       8月12日竣工。二等砲艦に類別
1931年 6月 1日等級廃止により砲艦へ類別
1934年佐世保工廠にてバラスト搭載・性能改善工事を実施
1937年呉工廠にて特定工事を実施。兵装の増強を受ける
1938年〜日華事変に参加。揚子江警備などに従事
1941年12月〜太平洋戦争に参加。上海方面にて船団護衛などに従事
1945年 8月15日上海にて終戦を迎える
後に中華民国に接収、国府軍軍艦「安東」(アン・トン)[An-Tong]と命名される
1947年 5月 3日日本海軍除籍
1949年 4月27日中共軍へ投降。人民軍海軍に編入
       9月24日蕪湖(現在の安徽省蕪湖市)にて国府軍の爆撃を受け沈没


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