工作艦 明石(2代)

Repair Ship "Akasi(2)"


明石
工作艦「明石」(1939年:Photo from Wikimedia Commons)
スペックデータ
排水量:(公)10,500t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×2基(補助用) 燃料搭載量:重油 1493t
全長:146.60m
全幅:20.50m 主機:三菱横浜式(MAN型)ディーゼル機関×2基、2軸推進
吃水:6.29m
出力:10,000hp
武装:
40口径12.7cm連装高角砲2基
(戦時中に25mm連装機銃2基を増設)
最大速力:19.2kt
航続距離:14ktで8000浬
乗員定数:336名+工作部433名

同型艦名(1隻+計画中止2隻)
明石"Akasi"三原"Mihara"桃取"Momotori"

工作艦 明石(2代)について
 大正13年に工作艦「関東」が沈没してから、日本海軍には専用の工作艦が存在しない状態が長く続いていた。特務工作船や水上機母艦・潜水母艦などが多少の工作機能を持っていたため、不便を感ずることはなかったが、技術の進歩により戦闘艦の発達が著しく高性能工作艦の必要性が高まってきたため昭和11年に工作艦の新造が計画され、翌年建造に着手した艦がこの「明石」である。
 最新の工作機械を搭載した当艦は竣工直後に連合艦隊へ編入され太平洋戦争にも参加。戦没するまでの間、休みなく働き続けた殊勲艦である。工作機械はドイツ製の最新鋭のものが搭載され、一部の工作能力は内地の工廠よりも高いと言われており、太平洋戦争では米軍も当艦を最重要目標として緒戦より狙っていたことからも、その能力の高さ・重要性がうかがえるであろう。
 艦内には機械・兵器・鉄工の工場だけでなく木工・冶金・鋳造などの各種工場が存在し、工作に従事する工作部員(軍属や民間人)も多数乗艦していた。推進機関はディーゼルを使用しているため煙突は一本で充分なのだが、本艦には煙突が二本存在している。艦前方にある煙突は艦内工場の排煙用煙突なのである。
 太平洋戦争中に同型艦二隻(予定名「三原」「桃取」)の建造が計画されていたが、戦局の悪化から着工には至っていない。

工作艦 明石(2代)の歴史
「明石」(2代)「明石」=兵庫県明石市にある瀬戸内海に面する海岸部の呼称
須磨と並び称される景勝地である
1937年 1月18日佐世保工廠にて起工
1938年 6月29日進水
1939年 7月31日竣工。連合艦隊付属となる
1941年12月〜太平洋戦争に参加。フィリピン攻略部隊に随伴し南方へ展開
1942年 6月〜トラック泊地にて重巡洋艦「最上」の応急修理を実施
同年8月初旬に「最上」とともに呉へ帰還
       8月23日再度、トラック島へ進出。以降はトラックにて大小の修理業務に従事
       8月28日〜軽巡「神通」の修理を実施
1944年 2月17日米軍のトラック島空襲により損傷を負う
       2月19日船団を組みトラック島を脱出。24日にパラオへ到着
       3月30日パラオにて米軍機の攻撃を受け大破炎上。船体放棄後に着底
       5月10日除籍。1954年解体処分完了
「三原」「三原」=広島県の向島と因島の間にある三原瀬戸から取った名称
 改マル五計画による工作艦(第5416号艦)。計画中止のため建造されず
「桃取」「桃取」=伊勢湾南部の桃取水道から取った名称。答志島の旧村名でもある
 改マル五計画による工作艦(第5417号艦)。計画中止のため建造されず


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2015,10,05(First Up 1999,12,23)