山彦型 駆逐艦

"Yamabiko" Class Destroyers
("Решительный"[Reshitel'nyi] and "Сильный"[Sil'nyi])



Sil'nyi
ロシア海軍駆逐艦「シルーヌイ」(後の「文月」)(1904年)
文月
駆逐艦「文月」(1908年:Photo from Wikimedia Commons)
スペックデータ
排水量:(常)240t ボイラー:宮原罐・石炭専焼×4基 燃料搭載量:石炭 60t
全長:57.0m
全幅:5.7m 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:2.3m
出力:3,800hp
武装:
40口径7.6cm単装砲1基、4.7cm砲3基、
45cm魚雷単装発射管2基2門
最大速力:26.0kt
航続距離:巡航速度で660浬
乗員定数:56名

同型艦名(2隻)
山彦"Yamabiko"文月(初代)"Humizuki(1)"

山彦型駆逐艦について
 元はロシア海軍所属の駆逐艦「ソコル」[Сокол(Sokol)]型の姉妹艦で、日露戦争の際に日本海軍に捕獲され軍籍編入されたものである。当初「暁」と命名された(初代「暁」が1904年5月17日に触雷沈没し、この損失を隠蔽しロシア駆逐艦の鹵獲を欺瞞するため「暁」の名が付けられ、定員表や信号符丁を引き継いだ)「レシテリーヌイ」は日露戦争の戦利艦中で最初に日本海軍籍へ編入された艦でもある。
 「ソコル」型はロシア初の国産駆逐艦であるが、ロシア製の駆逐艦は居住性が悪かったため日本海軍軍籍編入後の兵達のウケは良くなかった。ただし、日本の駆逐艦が快適な居住性を持っていたわけではない。

山彦型駆逐艦の歴史
「山彦」「山彦」=山中で大声などが峰々に反響する現象
1900年サンクトペテルブルグのネフスキー工場にて起工
その後、旅順(ポートアーサー)へ輸送され組み立てを実施
1901年 7月13日進水。「レシテリーヌイ」[Решительный]と命名
1903年 6月14日竣工。ロシア太平洋艦隊に就役
1904年 2月25日第一回旅順港閉塞作戦にて日本艦隊の包囲を突破
       8月12日黄海海戦で敗退し芝罘(チーフー)へ入港後降伏、日本軍に捕獲される
1905年 1月17日日本海軍へ編入される。「暁」(2代)と命名
      10月19日「山彦」と改称
1917年 4月 1日除籍。雑役船(標的船)に類別。艦名を「山彦丸」と改称
1919年廃船
「文月」(初代)「文月」=旧暦7月の雅称
1902年?サンクトペテルブルグのイジョルスキー工場にて起工
その後、旅順(ポートアーサー)へ輸送され組み立てを実施
1903年 6月 8日進水。「シルーヌイ」[Сильный]と命名
      12月30日竣工。ロシア太平洋艦隊に就役
1905年 8月12日旅順港への攻撃により港内に沈座しているところを日本海軍により鹵獲、引き揚げ
       9月 2日日本海軍へ編入。艦名を「文月」とする
1908年 5月 2日改造整備工事終了。再進水
1913年 4月 1日除籍
1914年 8月23日雑役船(掃海船)に類別。艦名を「文月丸」と改称
1915年 6月28日廃船。筥崎宮(福岡県)に寄贈


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「シルーヌイ」の写真はロシアのVseslav氏から提供を受けました。