若竹型 駆逐艦

"Wakatake" Class Destroyers


早蕨
駆逐艦「早蕨」(1920年代中盤/「第八号駆逐艦」の時代)

「第46号哨戒艇」(旧「夕顔」/1940年:Photo from Wikimedia Commons)
スペックデータ
排水量:(常)900t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×3基 燃料搭載量:重油 245t
全長:83.82m
全幅:8.08m 主機:ブラウン・カーチス式オールギヤードタービン×2基、2軸推進
 (「朝顔」他2隻はパーソンス式オールギヤードタービン×2基)
 (「夕顔」はツェリー式オールギヤードタービン×2基)
吃水:2.51m
出力:21,500hp
最大速力:35.5kt
武装:
45口径12cm単装砲3基、6.5mm単装機銃2基、
53cm魚雷連装発射管2基4門
航続距離:14ktで3000浬
乗員定数:110名

同型艦名(8隻)
若竹"Wakatake"呉竹"Kuretake"早苗"Sanae"
早蕨"Sawarabi"朝顔"Asagao"夕顔"Yuugao"[Yûgao]
芙蓉"Huyou"[Huyô]刈萱"Karukaya" 

若竹型駆逐艦について
 「樅」型の改良型で日本海軍最後の中型(二等)駆逐艦。八八艦隊計画では駆逐戦隊の中心として二十三隻の建造が予定されていたが、ワシントン海軍条約の締結により計画は中止となり、「若竹」型も八隻の建造だけに終わった。この「若竹」型より後の駆逐艦はすべて大型の一等駆逐艦しか建造されていない。
 ちなみに八八艦隊計画で多数の駆逐艦建造が見込まれたため、このとき計画された駆逐艦の艦名はすべて番号で命名されている(原則として一等駆逐艦である「神風」(2代)型「睦月」型は奇数番号、二等駆逐艦である当型は偶数番号となっているが例外もある)。しかし軍縮条約により駆逐艦の保有量も制限され艦数がそれほど増やせないことが判明したので、艦名は従前どおりの名称が付けられるようになり、番号が振られた艦も1928年(昭和3年)8月1日付けで改めて固有艦名が付け直されている。
 就役から昭和初期(1930年代)までは水雷戦隊の主力として活動していたが、より高性能な駆逐艦が就役するようになったため、日中戦争や太平洋戦争では船団護衛などが主任務となっていた。

若竹型駆逐艦の歴史
「若竹」「若竹」=その年に生え出た竹。新竹を指す
1921年12月13日神戸川崎造船所にて「第二駆逐艦」として起工
1922年 7月24日進水
1922年 9月30日竣工
1924年 4月 1日艦名を「第二号駆逐艦」と改名
1928年 8月 1日艦名を「若竹」と改名
1937年日中戦争に際し、華南沿岸などで作戦に従事
1941年12月太平洋戦争に参加。対潜任務・船団護衛等に従事
1944年 3月30日パラオにて敵機の攻撃を受け沈没
       5月10日除籍
「呉竹」「呉竹」=破竹の一種。葉が細かく節が多い竹である
1922年 3月15日神戸川崎造船所にて「第四駆逐艦」として起工
      10月21日進水
      12月21日竣工
1924年 4月 1日艦名を「第四号駆逐艦」と改名
1928年 8月 1日艦名を「呉竹」と改名
1941年12月太平洋戦争に参加。対潜任務・船団護衛等に従事
1944年12月30日バシー海峡にて米潜水艦「レイザーバック」の雷撃を受け沈没
1945年 2月10日除籍
「早苗」「早苗」=稲代から田へ植え替えるころの若苗を指す言葉
1922年 4月 5日浦賀船渠にて「第六駆逐艦」として起工
1923年 2月15日進水
      11月 5日竣工
1924年 4月 1日艦名を「第六号駆逐艦」と改名
1928年 8月 1日艦名を「早苗」と改名
1941年12月太平洋戦争に参加。対潜任務・船団護衛等に従事
1943年11月15日セレベス海にて米潜水艦「ブルーフィッシュ」の雷撃を受け沈没。後に除籍
1944年 1月 1日除籍
「早蕨」「早蕨」=芽を出したばかりの蕨を指す言葉
1922年11月20日浦賀船渠にて「第八駆逐艦」として起工
1923年 9月 1日進水
1924年 4月 1日艦名を「第八号駆逐艦」と改名
       7月24日竣工
1928年 8月 1日艦名を「早蕨」と改名
1932年12月 5日膨湖諸島沖で荒天のため転覆、沈没
1933年 4月 1日除籍
「朝顔」「朝顔」=熱帯原産で中国より渡来した園芸植物
別名をしののめぐさ・牽牛花ともいう
1922年 3月14日石川島造船所にて「第十駆逐艦」として起工
      11月 4日進水
1923年 5月10日竣工
1924年 4月 1日艦名を「第十号駆逐艦」と改名
1928年 8月 1日艦名を「朝顔」と改名
1937年日中戦争に際し、華南沿岸などで作戦に従事
1941年12月太平洋戦争に参加。船団護衛等に従事
1944年 7月 9日海南島にて台風のため座礁。同年9月離礁成功
1945年 5月呉に転属。以降、本土から離れることはなかった
       8月15日呉にて終戦を迎える
       8月22日舞鶴へ回航中、下関港にて触雷。大破着底
      11月30日除籍
1947年引き揚げの後、解体処分
「夕顔」「夕顔」=ウリ科の一年草。花が夕方に咲いて朝には萎む
ことから、朝顔に対してこの名がある
1922年 5月15日石川島造船所にて「第十二駆逐艦」として起工
1923年 4月14日進水
1924年 4月 1日艦名を「第十二号駆逐艦」と改名
       5月31日竣工
1928年 8月 1日艦名を「夕顔」と改名
1940年 4月 1日哨戒艇に類別。「第46号哨戒艇」と改名
1941年12月太平洋戦争に参加。船団護衛等に従事
1944年11月10日石廊崎南西にて米潜水艦「グリーンリング」の雷撃を受け沈没
1945年 1月10日除籍
「芙蓉」「芙蓉」=アオイ科の落葉低木。夏頃に大型の花を付ける
1922年 2月16日藤永田造船所にて「第十六駆逐艦」として起工
       9月23日進水
1923年 3月16日竣工
1924年 4月 1日艦名を「第十六号駆逐艦」と改名
1928年 8月 1日艦名を「芙蓉」と改名
1937年日中戦争に際し、華南沿岸などで作戦に従事
1941年12月太平洋戦争に参加。船団護衛等に従事
1943年12月20日マニラ沖にて米潜水艦「パファー」の雷撃を受け沈没
1944年 2月 5日除籍
「刈萱」「刈萱」=イネ科の多年草。山野に自生する。根はたわしや刷毛の材料となる
1922年 5月16日藤永田造船所にて「第十八駆逐艦」として起工
1923年 3月19日進水
       8月20日竣工
1924年 4月 1日艦名を「第十八号駆逐艦」と改名
1928年 8月 1日艦名を「刈萱」と改名
1937年日中戦争に際し、華南沿岸などで作戦に従事
1941年12月太平洋戦争に参加。対潜任務・船団護衛等に従事
1944年 5月10日バターン半島沖で米潜水艦「コッド」の雷撃を受け沈没
       7月10日除籍


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