駆逐艦 皐月(初代)

Destroyer "Satuki(1)"
("Бедовый"[Bedovyi])



Bedovyi
佐世保に回航された直後の「ベドウイ」(1905年)
スペックデータ
排水量:(常)350t ボイラー:宮原罐・石炭専焼×4基 燃料搭載量:石炭 80t
全長:64.0m
全幅:6.4m 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:1.8m
出力:5,700hp
武装:
40口径7.6cm単装砲1基、4.7cm単装砲5基、
45cm魚雷単装発射管2基2門
最大速力:27.0kt
航続距離:12ktで1,200浬
乗員定数:62名

同型艦名(1隻)
皐月(初代)"Satuki(1)"

駆逐艦 皐月(初代)について
 元はロシア海軍バルチック艦隊所属の駆逐艦「ベドウイ」[Бедовый]であるが、日本海海戦にて、航行不能となった旗艦「クニャージ・スワロフ」[Князь Суворов]から脱出のため移乗(と言っても本人は重傷だったため、担ぎ移されたのが正解)したロジェストウェンスキー[Зиновий Петрович Рожественский]司令長官が座乗したまま、日本海軍駆逐艦「漣」「陽炎」に捕獲され、後に日本海軍籍に編入された。ちなみに、ロジェストウェンスキー中将は終戦後ロシア本国で、敗戦の責を問われ軍法会議にかけられたが無罪となり、1909年に日本海海戦で負った傷がもとで病没している。
 当艦の日本海軍での駆逐艦としての現役時代は短いが、除籍後雑役船(掃海船)に分類され第一次大戦では青島攻略作戦の支援に従事して、鹵獲から16年後の1921年に廃船となった。

駆逐艦 皐月(初代)の歴史
「皐月」(初代)「皐月」=陰暦五月の雅称
1901年サンクトペテルブルグのネフスキー工場にて起工
1902年 5月 4日進水。ロシア海軍駆逐艦「ベドウイ」と命名
       9月 5日就役
1904年 8月29日バルチック艦隊(ロシア第二太平洋艦隊)に所属し、クロンシュタットを出港
1905年 5月28日日本海海戦で日本海軍に追いつめられ降伏。捕獲される
       6月 6日日本海軍に編入。艦名を「皐月」と改称
1906年浦賀船渠にて整備完了後、艦隊に就役
1913年 4月 1日除籍
1914年 8月23日雑役船(掃海船)に類別される。「皐月丸」と改称
 第一次大戦に参加。青島攻略作戦を支援
1916年 3月31日標的船に類別変更
1920年 7月 1日艦名を再び「皐月」に改名
1921年廃船。翌年解体処分


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写真はロシアのVseslav氏から提供を受けました。