樅型 駆逐艦

"Momi" Class Destroyers


栗
駆逐艦「栗」(撮影時期不詳)
葦
駆逐艦「葦」(撮影時期不詳:Photo from Wikimedia Commons)
スペックデータ
排水量:(常)850t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×3基 燃料搭載量:重油 250t
全長:83.82m
全幅:7.93m 主機:ブラウン・カーチス式オールギヤードタービン×2基、2軸推進
 (「楡」他3隻は技本・ブラウン式オールギヤードタービン×2基)
 (「菱」他1隻はパーソンス式オールギヤードタービン×2基)
 (「菫」他1隻はツェリー式オールギヤードタービン×2基)
吃水:2.44m
出力:21,500hp
最大速力:36.0kt
武装:
45口径12cm単装砲3基、6.5mm単装機銃2基、
53cm魚雷連装発射管2基4門
航続距離:14ktで3000浬
乗員定数:107名

同型艦名(21隻)
樅"Momi"榧(初代)"Kaya(1)"楡(初代)"Nire(1)"
栗"Kuri"梨(初代)"Nasi(1)"竹(初代)"Take(1)"
柿(初代)"Kaki(1)"栂"Tuga"菊"Kiku"
葵"Aoi"萩(初代)"Hagi(1)"薄"Susuki"
藤"Huji"蔦(初代)"Tuta(1)"葦"Asi"
菱(初代)"Hisi(1)"蓮"Hasu"菫(初代)"Sumire(1)"
蓬"Yomogi"蕨"Warabi"蓼"Tade"

樅型駆逐艦について
 従来の日本海軍駆逐艦とは異なり、この「樅」型はイギリス式の設計を改め日本独自の設計を採用した最初の駆逐艦で、仮想敵国であるアメリカ海軍との戦いを前提としていたため太平洋上でも戦闘可能な航洋能力を持たせている。また排煙を抑えるために石炭の使用を止め、重油専用ボイラーを機関に導入した。
 主機に何種類かのタービンを搭載しているがこれは比較試験のためで、造船所別に割り振って同一タービンの搭載を行っている。
 駆逐艦時代には大きな戦闘行動に参加することは少なかったが、哨戒艇に類別された後も太平洋戦争緒戦にウェーキ島へ強行接岸した「葵(第32号哨戒艇)」「萩(第33号哨戒艇)」などのように現役駆逐艦に負けない働きをしており、終戦後生き残っていた艦も「栗」のように掃海作業従事中に触雷沈没したり、「藤(第36号哨戒艇)」のようにインドネシア海軍に捕獲されたりと数奇な運命をたどった艦が多かった。
 なお「栗」「柿」「葦」「菫」の各艦は、雑役船(練習船)となった後も艦名を引き続き使用していたが、太平洋戦争末期になって「橘」型駆逐艦へ艦名を使用するために、これらの艦は改称を行っている。

樅型駆逐艦の歴史
「樅」(初代)「樅」=マツ科の常緑針葉樹。クリスマスツリーに使われるモミの木である
1919年12月27日横須賀工廠にて竣工
 大陸沿岸部にて警備活動に従事
1932年 4月 1日除籍。「廃駆第2号」と改名
1936年標的船として使用される
「榧」(初代)「榧」=イチイ科の常緑樹。木材は堅く、碁盤などの材料に使われる
1920年 3月28日横須賀工廠にて竣工
 大陸沿岸部にて警備活動に従事。満州事変に出動
1940年 2月 1日除籍
「楡」(初代)「楡」=ニレ科の落葉樹の総称。木材は堅く建材などに使用される
1920年 3月31日呉工廠にて竣工
 大陸沿岸部にて警備活動に従事。満州事変に出動
1940年 2月 1日除籍
      10月15日雑役船(練習船)に類別。横須賀航海学校の練習船として使用される
1944年12月15日「第一泊浦」と改名。終戦直前には横須賀突撃隊の母艦として使用される
1946年?戦後解体
「栗」「栗」=ブナ科の落葉高木。木材は耐久性耐湿性に優れ建材や枕木と
して使用される。実(み)は栗の実として食用に供される
1920年 4月30日呉工廠にて竣工
 揚子江沿岸や馬公などにて警備活動に従事。上海事変に出動
1941年12月支那方面隊に所属し、太平洋戦争に参加。海上交通保護などに従事
1942年 2月25日第三南遣艦隊に編入。南洋方面で船団護衛等に従事
1943年 6月24日馬公にて輸送船「チーフー丸」と衝突大破。上海にて修理を受ける
1945年 8月15日青島にて終戦を迎える
      10月 8日釜山港にて掃海作業中に触雷。沈没
      10月25日除籍
「梨」(初代)「梨」=バラ科の落葉樹。実は食用となる
1919年12月25日川崎造船所にて竣工
 大陸沿岸部にて警備活動に従事。満州事変に出動
1940年 2月 1日除籍
「竹」(初代)「竹」=イネ科の多年生常緑木本の総称
1919年12月25日川崎造船所にて竣工
 大陸沿岸部にて警備活動に従事。満州事変に出動
1940年 2月 1日除籍。舞鶴海兵団の練習船として使用される
1944年 2月10日雑役船(練習船)に類別。機関学校付属船となる
1948年解体処分。船体は秋田港防波堤に使用される(現存せず)
「柿」(初代)「柿」=カキ科の落葉樹。果実は食用となり、木材は建築用などに使用される
1920年 8月 2日浦賀船渠にて竣工
 大陸沿岸部にて警備活動に従事
1940年 2月 1日除籍
      11月15日雑役船(練習船)に類別。兵学校の練習船として使用される
1945年 2月23日「大須」と改名する
       9月終戦直後の台風(枕崎台風)で座礁。後に解体処分
「栂」「栂」=マツ科の常緑高木。木材は建築・製紙用に用いられ
樹皮からはタンニンが採取できる
1920年 7月20日石川島造船所にて竣工
 揚子江沿岸や馬公などにて警備活動に従事
1941年12月支那方面隊に所属し、太平洋戦争に参加。海上交通保護などに従事
1942年 8月〜上海〜馬公間の船団護衛任務に従事
1944年 6月機動部隊補給部隊の直衛としてマリアナ海戦に参加
1945年 1月15日高雄にて敵機の攻撃を受け沈没
       3月10日除籍
「菊」「菊」=中国原産の花で古くから観賞用として栽培される
1920年12月20日川崎造船所にて竣工
 揚子江沿岸や馬公などにて警備活動に従事
1940年 4月 1日哨戒艇に類別。「第31号哨戒艇」と改名
1941年上陸用大発を搭載する高速輸送艦に改装(類別は哨戒艇のまま)
1942年 9月〜船団護衛や対潜哨戒任務に従事
1944年 3月30日パラオ島西方にて敵機の攻撃を受け沈没
       5月10日除籍
「葵」「葵」=フタバアオイ・フユアオイ・タチアオイなどの総称
1920年12月10日川崎造船所にて竣工
 揚子江沿岸や馬公などにて警備活動に従事
1940年 4月 1日哨戒艇に類別。「第32号哨戒艇」と改名
1941年上陸用大発を搭載する高速輸送艦に改装(類別は哨戒艇のまま)
      12月22日ウェーキ島に強行接岸。擱座したため放棄処分
1942年 1月15日除籍
「萩」(初代)「萩」=マメ科の低木、ハギ属の総称。秋の七草の一つ
1921年 4月20日浦賀船渠にて竣工
 揚子江沿岸や馬公などにて警備活動に従事
1940年 4月 1日哨戒艇に類別。「第33号哨戒艇」と改名
1941年上陸用大発を搭載する高速輸送艦に改装(類別は哨戒艇のまま)
      12月22日ウェーキ島に強行接岸。擱座したため放棄処分
1942年 1月10日除籍
「薄」「薄」=イネ科の多年草。白い穂の群生する植物であるが、
群がって生える草の総称でもある
1921年 5月25日石川島造船所にて竣工
 北支方面にて警備活動に従事
1940年 4月 1日哨戒艇に類別。「第34号哨戒艇」と改名
1941年上陸用大発を搭載する高速輸送艦に改装(類別は哨戒艇のまま)
1943年 3月 6日カビエン南方で特務艦「矢風」と衝突事故。沈没
1945年 1月10日除籍
「藤」「藤」=マメ科の落葉樹。山野に自生するが観賞用として栽培もされる
1921年 5月31日藤永田造船所にて竣工
 艦隊任務や水雷学校練習艦任務などに従事
1940年 4月 1日哨戒艇に類別。「第36号哨戒艇」と改名
1941年上陸用大発を搭載する高速輸送艦に改装(類別は哨戒艇のまま)
1942年 8月〜ソロモン方面へ進出。船団護衛任務に従事
1944年 3月30日パラオにて敵機の攻撃を受け損傷
1945年 8月15日スラバヤにて終戦を迎える
1946年 6月復員船として引き上げ作業に従事中、ジャワ島付近でインドネシア海軍の武装船に
襲われ捕獲される。後にイギリス・オランダ海軍が出動し奪還した
       7月戦時賠償艦としてオランダに接収され、後に解体処分
「蔦」(初代)「蔦」=ブドウ科の多年生落葉の蔓植物
1921年 6月30日川崎造船所にて竣工
 大陸沿岸部にて警備活動に従事
1940年 4月 1日哨戒艇に類別。「第35号哨戒艇」と改名
1941年上陸用大発を搭載する高速輸送艦に改装(類別は哨戒艇のまま)
1942年 1月〜蘭印攻略作戦に参加
       8月ソロモン海域へ転戦
1942年 9月 2日ビコリア島北東にて敵機の攻撃を受け沈没
1943年 2月10日除籍
「葦」「葦」=イネ科の多年草。各地の水辺に自生する
1921年10月29日川崎造船所にて竣工
1927年 8月24日美保関沖にて軽巡「那珂」と衝突事故。大破するも修理される
1940年 2月 1日除籍
      10月15日雑役船(練習船)に類別。横須賀航海学校の練習船として使用される
1944年12月15日「第二泊浦」と改名。終戦直前には横須賀突撃隊の母艦として使用される
1945年東京港第二海堡にて擱座したまま終戦を迎える。後に解体処分
「菱」(初代)「菱」=ヒシ科の一年生水草。種子は食用となる
1922年 3月23日浦賀船渠にて竣工
 大陸沿岸部にて警備活動に従事
1940年 4月 1日哨戒艇に類別。「第37号哨戒艇」と改名
1941年上陸用大発を搭載する高速輸送艦に改装(類別は哨戒艇のまま)
1942年 1月24日バリクパパン攻略作戦にて敵駆逐艦の雷撃を受け沈没
       4月10日除籍
「蓮」「蓮」=スイレン科の多年草。水田や湿地などに生息し、葉は
水面上に浮かんだ円形状のものである
1922年 7月31日浦賀船渠にて竣工
 主力艦隊の護衛任務に従事
1941年12月太平洋戦争に参加。船団護衛任務に従事
1944年 8月 2日揚子江にて触雷、航行不能となるも上海にて修理される
1945年 1月15日香港にて敵機の攻撃を受け小破
       8月15日青島にて終戦を迎える
      10月25日除籍
1948年解体処分。船体は福井県四箇浦港の防波堤に使用される
「菫」(初代)「菫」=スミレ科の多年草。春に濃紫色の花をつける
1923年 3月31日石川島造船所にて竣工
 大陸沿岸部にて警備活動に従事
1940年 2月 1日除籍
      11月15日雑役船(練習船)に類別。兵学校の練習船として使用される
1945年 2月23日「三高」と改名される。戦後に解体処分
「蓬」「蓬」=キク科の多年草。山野に自生する。葉は食用や灸のもぐさに使用される
1922年 8月19日石川島造船所にて竣工
 大陸沿岸部にて警備活動に従事
1940年 2月 1日哨戒艇に類別。「第38号哨戒艇」と改名
1941年上陸用大発を搭載する高速輸送艦に改装(類別は哨戒艇のまま)
1942年 1月12日タラカン島沖にて蘭敷設艦「プリンス・ファン・オランニュ」を撃沈(共同)
1944年11月25日バシー海峡にて米潜水艦「アトゥル」の雷撃を受け沈没
1945年 3月10日除籍
「蕨」「蕨」=ウラボシ科の多年生シダ植物。新芽は食用となる
1921年12月19日藤永田造船所にて竣工
1927年 8月24日美保関沖にて軽巡「神通」と衝突沈没(美保関事件)
       9月15日除籍
「蓼」「蓼」=広義にはタデの名を持つ樹木の総称
1922年 7月31日藤永田造船所にて竣工
 大陸沿岸部にて警備活動に従事
1940年 2月 1日哨戒艇に類別。「第39号哨戒艇」と改名
1941年上陸用大発を搭載する高速輸送艦に改装(類別は哨戒艇のまま)
1943年 4月23日与那国島南方にて米潜水艦「シーウルフ」の雷撃を受け沈没
       7月 1日除籍


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