陽炎(2代)型 駆逐艦

"Kagerou(2)" Class Destroyers


雪風
駆逐艦「雪風」(1939年:Photo from Wikimedia Commons)
嵐
駆逐艦「嵐」(1940年)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
磯風
第65号(2015.07.21)
駆逐艦「磯風」1945年

スペックデータ
排水量:(公)2,500t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×3基 燃料搭載量:重油 622t
全長:111.0m
全幅:10.8m 主機:艦本式オールギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:3.76m
出力:52,000hp
武装:
50口径12.7cm連装砲3基、25mm連装機銃2基、
次発装填付き61cm魚雷4連装発射管2基8門
最大速力:35.0kt
航続距離:18ktで5000浬
乗員定数:239名

同型艦名(19隻)
陽炎(2代)"Kagerou(2)"[Kagerô(2)]不知火(2代)"Siranui(2)"黒潮"Kurosio"
親潮"Oyasio"早潮"Hayasio"夏潮"Natusio"
初風"Hatukaze"雪風"Yukikaze"天津風(2代)"Amatukaze(2)"
時津風(2代)"Tokitukaze(2)"浦風(2代)"Urakaze(2)"磯風(2代)"Isokaze(2)"
浜風(2代)"Hamakaze(2)"谷風(2代)"Tanikaze(2)"野分(2代)"Nowaki(2)"
嵐"Arasi"荻風"Hagikaze"舞風"Maikaze"
秋雲"Akigumo"  

陽炎(2代)型駆逐艦について
 特型駆逐艦の大量建造によって大型駆逐艦の配備が進んだ日本海軍であったが、その後に続く軍縮条約時代には制限のため「初春」型「白露」型に十分な性能を与えることができなかった。また、「朝潮」型は兵装は充実していたが速力や航続力が不足しているという状態であった。
 そこで軍縮条約があけた1937年の第4期補充計画では特型駆逐艦と同様のサイズ・武装で、かつ速力と航続力は「朝潮」型を上回る性能の駆逐艦を建造する事とした。これが「陽炎」型である。ただし計画当初の速力を発揮するためには2,700トンを超える大型艦となってしまうため、速力は35ノットで妥協された。
 第四艦隊事件の影響で「朝潮」型は過度の船体強度増強を施されていたが、「陽炎」型はその点も押さえ十分な強度を保ちつつ適切な軽量化もされ、軍令部の要求をほぼ満たした日本海軍艦隊型駆逐艦の集大成といえる駆逐艦に仕上がっている。
 しかし、その高性能ゆえに太平洋戦争では常に最前線にあったため、終戦時に生き残っていたのは同型艦十九隻のうち「雪風」ただ一隻であった。この「雪風」は太平洋戦争開戦時から作戦に参加していた駆逐艦のうち唯一終戦まで無事に生き残った幸運艦として有名である。
 なお「天津風」は高速発揮型機関のテストベッドとして、駆逐艦「島風」と同じ試作高温高圧ボイラーを実験的に搭載した。

注意!「このページは同型艦が多いため年表を2ページに分けております。このページの一番下に
次ページへのリンクを貼ってありますので「時津風」(2代)以降の艦についてはそちらをご覧ください。」
駆逐艦 陽炎(2代)型の歴史
「陽炎」「陽炎」=熱せられた空気が上昇するため、光が通過する際に
不規則に屈折しちらちらとゆらめいて見える現象を指す
1937年 9月 3日舞鶴工廠にて起工
1938年 9月27日進水
1939年11月 6日竣工
1941年12月〜空母部隊の護衛としてラバウル攻略、セイロン島機動作戦などに従事
1942年 6月〜第十戦隊に所属し、ミッドウェー攻略作戦に従事
       7月19日キスカに進出
       8月18日〜ガダルカナルへの輸送任務に従事
       9月21日ガダルカナル島近海で敵機の攻撃を受け小破
      11月30日ルンガ沖海戦に参加
1943年 5月 8日ムンダ輸送作戦中ソロモン諸島クラ湾で触雷、航行不能となり米軍機の攻撃を受け沈没
       6月20日除籍
「不知火」(2代)「不知火」=一種の蜃気楼現象である。九州は
八代海で古来から見られる発光現象。
1937年 8月30日浦賀船渠にて起工
1938年 6月28日進水
1939年12月20日竣工
1941年12月〜空母部隊の護衛としてラバウル攻略、セイロン島機動作戦などに従事
1942年 6月〜ミッドウェー攻略作戦に従事
       7月 5日キスカ島湾外で米潜水艦「グローラー」の攻撃を受け大破。
修理のため舞鶴へ曳航される
1943年10月復旧工事終了。戦線へ復帰
1944年 1月〜ウェワク輸送に従事
       4月〜北方部隊に編入され、大湊・千島方面の護衛に従事
       6月〜硫黄島・父島への輸送任務に従事
      10月比島沖海戦に参加
      10月27日大破した軽巡「鬼怒」の救助に向かうが発見できず。
帰路、パナイ島沖で米軍機の攻撃を受け沈没
      12月10日除籍
「黒潮」「黒潮」=日本列島の東側を流れる暖流、日本海流の和名である。
1937年 8月31日藤永田造船所にて起工
1938年10月25日進水
1940年 1月27日竣工
1941年12月〜第二水雷戦隊に所属し、南洋方面で作戦に従事
1942年 2月スラバヤ沖海戦に参加
       6月〜ミッドウェー攻略作戦に従事
       7月15日〜インド洋にて掃討作戦に従事
       8月〜ソロモン海域へ転戦。各種作戦に従事
1943年 2月〜ガダルカナル撤収作戦に従事
1943年 5月 3日ムンダ輸送作戦中ソロモン諸島クラ湾で触雷、航行不能となり米軍機の攻撃を受け沈没
       6月20日除籍
「親潮」「親潮」=日本列島の東側を流れる寒流、千島海流の和名である。
1938年 3月29日舞鶴工廠にて起工
      11月29日進水
1940年 8月20日竣工
1941年12月〜第二水雷戦隊に所属し、南洋方面で作戦に従事
1942年 2月スラバヤ沖海戦に参加
       6月〜ミッドウェー攻略作戦に従事
       7月15日〜インド洋にて掃討作戦に従事
       8月〜ソロモン海域へ転戦。各種作戦に従事
      11月30日ルンガ沖海戦に参加
1943年 5月 8日ムンダ輸送作戦中ソロモン諸島クラ湾で触雷、航行不能となり米軍機の攻撃を受け沈没
       6月20日除籍
「早潮」「早潮」=さし引きの早い潮、または流れの速い潮を指す。
1938年 6月30日浦賀船渠にて起工
1939年 4月19日進水
1940年 8月31日竣工
1941年12月〜第二水雷戦隊に所属し、南洋方面で作戦に従事
1942年 2月スラバヤ沖海戦に参加
       6月〜ミッドウェー攻略作戦に従事
       7月15日〜インド洋にて掃討作戦に従事
       8月〜ソロモン海域へ転戦。各種作戦に従事
      11月24日ラエへの増援作戦従事中に米軍機の攻撃を受け炎上。誘爆により沈没
      12月24日除籍
「夏潮」「夏潮」=成語としてはあまり用いられないが、夏の潮を指す。
1937年12月 9日藤永田造船所にて起工
1939年 2月23日進水
1940年 8月31日竣工
1941年12月〜第二水雷戦隊に所属し、南洋方面で作戦に従事
1942年 2月 8日マカッサル攻略作戦に従事中、米潜水艦「S−37」の攻撃を受け航行不能。
翌日沈没(太平洋戦争における最初の米潜水艦による喪失艦)
       2月28日除籍
「初風」「初風」=季節のはじめに吹く風を指す。
1937年12月 3日神戸川崎造船所にて起工
1939年 1月24日進水
1940年 2月15日竣工
1941年12月〜第二水雷戦隊に所属し、南洋方面で作戦に従事
1942年 2月スラバヤ沖海戦に参加
       7月〜第10戦隊に所属し、機動部隊の直衛としてソロモンへ進出
       8月第二次ソロモン海戦に参加
      10月南太平洋海戦に参加
1943年 1月10日ガダルカナル付近で敵魚雷艇の攻撃を受け大破するも日本へ回航して修理
       8月〜損傷を修理して戦線復帰。トラック方面へ進出
      11月 1日ブーゲンビル島沖海戦に参加。重巡「妙高」と衝突し大破
      11月 2日戦線を離脱して帰投中、敵水上部隊の攻撃を受け沈没
1944年 1月 5日除籍
「雪風」「雪風」=雪まじりで吹く風を指す。
1938年 8月 2日佐世保工廠にて起工
1939年 3月24日進水
1940年 1月20日竣工
1941年12月〜第二水雷戦隊に所属し、南洋方面で作戦に従事
1942年 2月スラバヤ沖海戦に参加
       7月〜第十戦隊に所属し、機動部隊の直衛としてソロモンへ進出
       8月第二次ソロモン海戦に参加
      10月南太平洋海戦に参加
      11月13日第三次ソロモン海戦に参加
1943年 2月〜ラエ・サモア増援の輸送任務に従事
       7月〜コロンバンガラ島への輸送任務に従事
      10月〜輸送任務や護衛任務に従事し、トラック・シンガポール方面へ進出
1944年 5月〜タウイタウイ島へ進出
       6月19日マリアナ沖海戦に参加
      10月22日〜比島沖海戦に参加
      11月28日〜瀬戸内海にて空母「信濃」の護衛任務に従事
1945年 4月 7日〜戦艦「大和」の直衛として沖縄特攻作戦に参加するも生還
      10月 5日終戦のため除籍。復員船として使用される
1947年 7月 6日戦時賠償艦として中華民国へ引き渡される。中華民国艦「丹陽」[TanYang]と改名
1949年国民党軍の本土脱出に参加、台湾へ逃れる
1950年代中共軍と複数回の交戦を行う
1965年12月16日老朽化のため退役
1966年11月16日除籍。以降は訓練船として使用される
1969年台風の被害を受け艦底破損、浸水
1971年解体処分
      12月 8日舵輪と錨が日本へ返還される
(現在も江田島の旧海軍兵学校教育参考館に展示されている)
「天津風」(2代)「天津風」=大空を吹く風を指す。
1939年 2月14日舞鶴工廠にて起工
      10月19日進水
1940年10月26日竣工
1941年12月〜第二水雷戦隊に所属し、南洋方面で作戦に従事
1942年 2月スラバヤ沖海戦に参加
       7月〜第十戦隊に所属し、機動部隊の直衛としてソロモンへ進出
       8月第二次ソロモン海戦に参加
      10月南太平洋海戦に参加
      11月13日第三次ソロモン海戦に参加
1943年 2月〜トラック方面へ進出。輸送・護衛任務に従事
1944年 1月16日輸送任務に従事中、米潜水艦「レッドフィン」の攻撃を受け大破。
漂流するが駆逐艦「朝顔」に救助曳航されサイゴンへ帰還する
1945年 3月〜損傷を修理して戦線へ復帰
       4月 6日船団護衛任務に従事中米軍機の攻撃を受け沈没
       8月10日除籍

年表の2ページ目を見る

検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2015,06,28(First Up 1999,05,01)