初春(2代)型 駆逐艦

"Hatuharu(2)" Class Destroyers


子の日
駆逐艦「子ノ日」(1933年)
夕暮
駆逐艦「夕暮」(1935〜38年頃:Photo from Wikimedia Commons)
スペックデータ
排水量:(公)1,680t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×3基 燃料搭載量:重油 458t
全長:103.0m
全幅:10.0m 主機:艦本式オールギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:3.03m
出力:42,000hp
武装:
50口径12.7cm連装砲2基、50口径12.7cm単装砲1基、
40mm単装機銃2基、次発装填付き61cm魚雷3連装発射管3基9門
最大速力:36.5kt
航続距離:14ktで4000浬
乗員定数:205名
スペックデータ(復原性能改善後)
排水量:(公)2,061t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×3基 燃料搭載量:重油 458t
全長:103.5m
全幅:10.0m 主機:艦本式オールギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:3.49m
出力:42,000hp
武装:
50口径12.7cm連装砲2基、50口径12.7cm単装砲1基、
40mm単装機銃2基、次発装填付き61cm魚雷3連装発射管2基6門
最大速力:34.0kt
航続距離:14ktで4000浬
乗員定数:208名

同型艦名(6隻)
初春(2代)"Hatuharu(2)"子ノ日(2代)"Nenohi(2)"若葉(2代)"Wakaba(2)"
初霜(2代)"Hatusimo(2)"有明(2代)"Ariake(2)"夕暮(2代)"Yuugure(2)"[Yûgure(2)]

初春(2代)型駆逐艦について
 ロンドン海軍条約の締結により駆逐艦の保有数も制限されるようになったので、日本海軍は駆逐艦の数を増やすために特型駆逐艦よりも小型の駆逐艦を量産することにした。しかし船体は小型でも、武装の設計では特型と同等かそれ以上のものを海軍は要求していた。
 この要求を受けて建造された「初春」型駆逐艦は雛壇式に配置された主砲や、次発装填装置付きの三連装魚雷発射管を三基も備えるなどの強力な武装が施されていた。だが甲板上に配置された重武装とは裏腹に機関部は改良のため軽量化が進み、船体が軽い割に上部構造が重いというアンバランスな艦となってしまい、最初に建造された「初春」と「子ノ日」は後に船体にバルジをもうけて安定性を高める工事が施された。
 その後同様に重武装を施した水雷艇「友鶴」の荒天による転覆事故(俗に言う「友鶴事件」)が起こったため、日本海軍の全艦艇を調査した結果この「初春」型も安定性に欠陥があると判断され、武装の一部を撤去して重心を下げる工事が再度施されている。このときまだ完成していなかった「有明」と「夕暮」の二艦は同時に主砲塔を改正B型砲塔に変更された。これらの改修により復原性は改善したものの、速力や火力は低下することになってしまった。
 当初の計画では十二隻の姉妹艦建造が予定されていたが、この安定性が不足する設計から当クラスは六隻で建造を打ち切り、残りは別設計に改めた「白露」型として建造されることになった。
 当クラスの六隻は水雷戦隊の中心戦力として太平洋戦争では各種作戦に従事したが、そのため全艦とも戦没してしまった。

初春(2代)型駆逐艦の歴史
「初春」(2代)「初春」=春の初め。特に正月の意に用いられる
1931年 5月14日佐世保工廠にて起工
1933年 2月27日進水
       9月30日竣工
1939年〜第二遣支艦隊に転入。仏印進駐に参加
1941年12月太平洋戦争に参加。第21駆逐隊に所属しセレベス島・バリ島攻略作戦に従事
1942年 1月25日ケンダリ攻略に参加。作戦中に軽巡「長良」と衝突事故をおこし損傷
       6月アリューシャン方面攻略に参加
      10月17日キスカ島付近にて敵機の攻撃を受け大破。舞鶴へ曳航され翌年9月まで修理
1943年10月修理完了し戦線へ復帰。各方面にて護衛任務に従事
1944年 6月〜硫黄島輸送作戦に従事
      10月24日比島沖海戦に参加。敵機の攻撃を受け軽微な損傷を負う
      11月13日マニラ湾にて米軍機の攻撃を受け被雷、沈没
1945年 1月10日除籍
「子ノ日」(2代)「子ノ日」=立春後の最初の子の日に郊外で宴遊する
行事「子の日の遊び」の略。古来より長寿を願って行われた
1931年12月15日浦賀船渠にて起工
1932年12月22日進水
1933年 9月30日竣工
1939年〜第二遣支艦隊に転入。仏印進駐に参加
1941年12月太平洋戦争に参加。第21駆逐隊に所属しセレベス島・バリ島攻略作戦に従事
1942年 6月アリューシャン方面攻略に参加
       7月 5日アリューシャン列島沖で米潜水艦「トライトン」の雷撃を受け沈没
       7月31日除籍
「若葉」(2代)「若葉」=木々の若芽のこと。初夏を表す言葉でもある
1931年12月12日佐世保工廠にて起工
1934年 3月18日進水
      10月31日竣工
1939年〜第二遣支艦隊に転入。仏印進駐に参加
1941年12月太平洋戦争に参加。第21駆逐隊に所属しセレベス島・バリ島攻略作戦に従事
1942年 6月アリューシャン方面攻略に参加
      11月北方部隊に編入。キスカ島への弾薬運搬に従事
1943年 3月26日アッツ島沖海戦に参加。同月30日駆逐艦「雷」と接触事故、損傷は軽微
       7月26日キスカ撤収作戦に従事中、濃霧のため駆逐艦「長波」「初霜」と衝突事故、中破
      10月損傷を修理後、戦線へ復帰。護衛任務、輸送任務などに従事
1944年10月24日スル海にて米軍機の攻撃を受け沈没
      12月10日除籍
「初霜」(2代)「初霜」=その冬になって初めておりた霜のこと
1933年 1月31日浦賀船渠にて起工
      11月 4日進水
1934年 9月27日竣工
1939年〜第二遣支艦隊に転入。仏印進駐に参加
1941年12月太平洋戦争に参加。第21駆逐隊に所属しセレベス島・バリ島攻略作戦に従事
1942年 6月アリューシャン方面攻略に参加
1943年 3月26日アッツ島沖海戦に参加
       7月26日キスカ撤収作戦に従事中、濃霧のため駆逐艦「長波」「若葉」と衝突事故、損傷は軽微
1944年航空母艦の護衛や基地航空隊の兵員輸送任務に従事
1945年 4月菊水水上特攻作戦に参加。触雷により航行不能となった駆逐艦「響」を曳航して呉へ
帰還。その後、再度沖縄へ出撃したが作戦中止命令により佐世保へ帰投
       6月末〜砲術学校練習艦となる
       7月30日宮津湾にて機雷に触雷(座礁という説もある)、海岸に擱座
       9月30日除籍。船体は戦後解体された
「有明」(2代)「有明」=夜明けの空に残る月を有明月といい
その月が出ている頃を指す言葉
1933年 1月14日川崎造船所にて起工
1934年 9月23日進水
1935年 3月25日竣工
1941年12月太平洋戦争に参加。第27駆逐隊に所属しアンボン・ケンダリー攻略作戦を支援
1942年 4月25日第五航空戦隊へ編入。翌月には珊瑚海海戦に参加
       6月空母「鳳翔」の直衛としてミッドウェー作戦に参加
       8月ナウル島へ進出。陸戦隊を支援して同島を占領
      12月26日ムンダ増援作戦中に敵機の攻撃を受け中破
1943年 2月損傷を修理後、護衛任務に従事
       7月28日ソロモン群島ツルブ沖で米軍機の攻撃を受け沈没
      10月15日除籍
「夕暮」(2代)「夕暮」=太陽が沈む直前。日が暮れる時を指す
1933年 4月 9日舞鶴工廠にて起工
1934年 5月 6日進水
1935年 3月30日竣工
1941年12月太平洋戦争に参加。第27駆逐隊に所属しアンボン・ケンダリー攻略作戦を支援
1942年 4月25日第五航空戦隊へ編入。翌月には珊瑚海海戦に参加
       6月空母「鳳翔」の直衛としてミッドウェー作戦に参加
       8月25日オーシャン島攻略作戦に参加。同島を占領
      10月ソロモン海域に転戦。11月の第三次ソロモン海戦に参加
1943年 7月13日コロンバンガラ島沖夜戦に参加
       7月20日ラバウル近海にて米軍機の攻撃を受け沈没
      10月15日除籍


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