朝潮(2代)型 駆逐艦

"Asasio(2)" Class Destroyers


朝潮
駆逐艦「朝潮」(1937年:Photo from Wikimedia Commons)
朝雲
駆逐艦「朝雲」(1941年頃)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
朝潮
第51号(2015.01.06)
駆逐艦「朝潮」1942年

スペックデータ
排水量:(公)2,370t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×3基 燃料搭載量:重油 580t
全長:111.0m
全幅:10.35m 主機:艦本式オールギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:3.69m
出力:50,000hp
武装:
50口径12.7cm連装砲3基、25mm連装機銃2基、
次発装填付き61cm魚雷4連装発射管2基8門
最大速力:35.0kt
航続距離:18ktで3800浬
乗員定数:229名

同型艦名(10隻)
朝潮(2代)"Asasio(2)"大潮"Oosio"[Ôsio]満潮"Mitisio"
荒潮"Arasio"朝雲"Asagumo"山雲"Yamagumo"
夏雲"Natugumo"峯雲"Minegumo"霞(2代)"Kasumi(2)"
霰(2代)"Arare(2)"  

朝潮(2代)型駆逐艦について
 軍縮条約により駆逐艦の保有数に制限を加えられた日本海軍は、中型駆逐艦に大型駆逐艦と同等の武装を施して戦力の増強を図ったが、このコンセプトで建造された「初春」型は重心が高く安定性に欠け、改良型の「白露」型も日本海軍が考えていた艦隊決戦に使用するには能力不足であった。
 そこで中型駆逐艦では満足する駆逐艦が建造できないと考えた日本海軍は大型駆逐艦の建造を再開することにし、最初に建造されたのがこの「朝潮」型である。
 ちょうど条約期限が切れる時期だったために排水量の増加を抑える必要もなく、第四艦隊事件の教訓から船体強度もしっかりした設計になったため、以前の特型駆逐艦より少し大型となっている。
 期待の新型駆逐艦として就役した当クラスであったが、初期には機関タービンブレードの共振による損傷や旋回時の舵の利きが悪かった点など、問題も複数残されていた。
 この「朝潮」型はこれ以後に建造される日本駆逐艦の雛形として十分な性能を備えていたため、太平洋戦争において常に第一線にあり同型艦全艦とも戦没している。

朝潮(2代)型駆逐艦の歴史
「朝潮」(2代)「朝潮」=朝にさしてくる潮を指す言葉
1935年 9月 7日佐世保工廠にて起工
1936年12月16日進水
1937年 8月31日竣工
     12月機関タービンブレードの損傷が発見され、修理を実施(臨機調事件)
1939年11月〜中国沿岸部で行動
1941年12月〜太平洋戦争に参加。第八駆逐隊に所属し南方全域で作戦支援に従事
1942年 2月バリ島沖海戦に参加。蘭駆逐艦「ピート・ハイン」を撃沈
      4月コレヒドール攻略を支援
      6月ミッドウェー攻略作戦に参加
     10月〜ソロモン方面へ進出。ガダルカナル・ブナ方面への輸送任務に従事
     12月 8日ブナ東方にて敵機の攻撃を受け小破
1943年 2月ラエ輸送作戦に従事
      3月 3日ダンピール海峡にて米軍機の攻撃を受け沈没(ビスマルク海海戦)
      4月 1日除籍
「大潮」「大潮」=ひと月のうち最も潮の干満の差が大きい日のことを指す
1936年 8月 5日舞鶴工廠にて起工
1937年 4月19日進水
     10月31日竣工
     12月〜機関タービンブレードの損傷が発見され、修理を実施(臨機調事件)
1939年11月〜中国沿岸部で行動
1941年12月〜太平洋戦争に参加。第八駆逐隊に所属し南方全域で作戦支援に従事
1942年 2月バリ島沖海戦に参加。敵艦の砲撃および敵機の攻撃により大破するも駆逐艦「若葉」
護衛されマカッサルへ帰還。12月まで舞鶴にて修理を行う
1943年 2月 1日〜ガダルカナル撤収作戦に従事
      2月20日マヌス島沖で敵潜水艦「アルバコア」の攻撃を受け大破。翌日曳航中に沈没
      4月 1日除籍
「満潮」「満潮」=満ちてくる潮、満ちた潮を指す言葉
1935年11月 5日藤永田造船所にて起工
1937年 3月15日進水
     10月31日竣工
     12月〜機関タービンブレードの損傷が発見され、修理を実施(臨機調事件)
1939年11月〜中国沿岸部で行動
1941年12月〜太平洋戦争に参加。第八駆逐隊に所属し南方全域で作戦支援に従事
1942年 2月バリ島沖海戦に参加。敵艦の砲撃および敵機の攻撃により大破するも駆逐艦「荒潮」に
曳航されマカッサルへ帰還。10月まで横須賀にて修理を行う
     11月第三次ソロモン海戦に参加
     11月13日ショートランド島にて敵機の攻撃を受け中破。翌年11月まで横須賀にて修理を受ける
1943年12月〜修理完了後、戦線へ復帰。輸送任務に従事
1944年 6月第二航空戦隊の直衛艦としてマリアナ沖海戦に参加
     10月25日西村艦隊に所属してレイテ沖海戦に参加。スリガオ湾へ突入。
米駆逐艦の雷撃を受け沈没。生存者なし
1945年 1月10日除籍
「荒潮」「荒潮」=荒海の潮のこと
1935年10月 1日神戸川崎造船所にて起工
1937年 5月26日進水
     12月20日竣工
     12月〜機関タービンブレードの損傷が発見され、修理を実施(臨機調事件)
1939年11月〜中国沿岸部で行動
1941年12月〜太平洋戦争に参加。第八駆逐隊に所属し南方全域で作戦支援に従事
1942年バリ島沖海戦(2月)、ミッドウェー攻略作戦(6月)に参加
ミッドウェー作戦では敵機の攻撃を受け中破。11月まで佐世保にて修理を受ける
     11月修理完了後、戦線へ復帰。ソロモン方面へ進出
1943年 2月ガダルカナル撤収作戦に従事
      2月17日イサベル島沖海戦に参加
      3月 3日ダンピール海峡にて米軍機の攻撃を受け沈没(ビスマルク海海戦)
      4月 1日除籍
「朝雲」「朝雲」=朝の雲を指す
1936年12月23日神戸川崎造船所にて起工
1937年11月 5日進水
     12月機関タービンブレードの損傷が発見され、修理を実施(臨機調事件)
1938年 3月31日竣工
1941年12月太平洋戦争に参加。第九駆逐隊に所属し南方全域で作戦支援に従事
1942年バリ島沖海戦(2月)、ミッドウェー攻略作戦(6月)に参加
      8月ソロモン方面へ進出。ガダルカナル増援作戦に従事
     11月第四水雷戦隊旗艦として第三次ソロモン海戦に参加
1943年 2月〜ガダルカナル撤収作戦に従事。3月にはビスマルク海海戦に参加
      7月キスカ撤収作戦に参加
     10月25日西村艦隊に所属してレイテ沖海戦に参加。スリガオ湾へ突入。
米駆逐艦の雷撃を受け沈没
1945年 1月10日除籍
「山雲」「山雲」=山に立ちこめた雲、山の雲を指す
1936年11月 4日藤永田造船所にて起工
1937年 7月24日進水
     12月機関タービンブレードの損傷が発見され、修理を実施(臨機調事件)
1938年 1月15日竣工
1941年12月太平洋戦争に参加。第九駆逐隊に所属し南方全域で作戦支援に従事
     12月31日リンガエン湾上陸を支援中、触雷損傷。横須賀へ戻り翌年9月まで修理
1942年10月〜横須賀鎮守府所属の警備駆逐艦となり、船団護衛などに従事
1943年 9月第四駆逐隊に編入
     11月19日船団護衛中に米潜「スカルピン」を攻撃、浮上後に砲撃により撃沈
     12月〜トラック〜ニューギニア間の輸送任務に従事(戊号輸送作戦)
1944年 2月17日トラック島にて米軍機の空襲を受けるも脱出に成功、横須賀へ待避する
      4月第四駆逐隊司令部が乗艦。サイパン方面への輸送任務に従事
      6月第二航空戦隊の直衛艦としてマリアナ沖海戦に参加
     10月25日西村艦隊に所属してレイテ沖海戦に参加。スリガオ湾へ突入。
米駆逐艦の雷撃を受け沈没
1945年 1月10日除籍
「夏雲」「夏雲」=文字どおり夏の雲を指す
1936年 7月 1日佐世保工廠にて起工
1937年 5月26日進水
1938年 2月10日竣工
 竣工後、タービンブレードの損傷修理を実施(臨機調事件)
1941年12月太平洋戦争に参加。第九駆逐隊に所属し南方全域で作戦支援に従事
1942年ジャワ攻略作戦、スラバヤ沖海戦、ミッドウェー攻略作戦に参加
      8月ソロモン方面へ進出。ガダルカナル増援作戦に従事。第二次ソロモン海戦に参加
     10月12日サボ島沖にて米軍機の攻撃を受け沈没(サボ島沖夜戦)
     11月15日除籍
「峯雲」「峯雲」=山頂にたつ雲を指す
1937年 3月22日藤永田造船所にて起工
     11月 4日進水
1938年 4月30日竣工
 竣工後、タービンブレードの損傷修理を実施(臨機調事件)
1941年 6月23日訓練中に駆逐艦「夏雲」「黒潮」と衝突事故。中破
呉工廠にて11月末まで修理を実施
     12月太平洋戦争に参加。第九駆逐隊に所属し南方全域で作戦支援に従事
1942年 1月〜ジャワ攻略作戦、スラバヤ沖海戦、ミッドウェー海戦に参加
      8月ソロモン方面へ進出。ガダルカナル増援作戦に従事
     10月 5日敵機の攻撃を受け大破。修理を実施し翌年1月戦線へ復帰
1943年 3月 5日クラ湾にて敵艦の攻撃を受け沈没(米軍呼称ヴィラ・スタンモーア夜戦)
      4月 1日除籍
「霞」(2代)「霞」=水蒸気が立ちこめてぼんやりと見える様子
1936年12月 1日浦賀船渠にて起工
1937年11月19日進水
1939年 6月28日竣工
1941年12月太平洋戦争に参加。第18駆逐隊に所属しハワイ攻撃、ラバウル攻略作戦などに参加
1942年 6月ミッドウェー攻略作戦に参加
      7月 5日キスカ島付近にて米潜「グローラー」の雷撃を受け大破。
舞鶴にて翌年6月まで修理を受ける
1943年 9月〜北千島方面にて船団護衛任務に従事
1944年 7月〜硫黄島・父島方面にて船団護衛任務に従事
     10月志摩艦隊に所属し、レイテ沖海戦に参加
     11月オルモック輸送作戦に従事。12月にはホセ突入作戦(礼号作戦)に参加
1945年 4月 7日坊ノ岬沖海戦(海上特攻作戦)に参加。米軍機の攻撃を受け航行不能となり、
駆逐艦「冬月」の砲撃により自沈処分
      5月10日除籍
「霰」(2代)「霰」=水蒸気が空中で凝結して落ちてくる小さな氷の固まり
1937年 3月 5日舞鶴工廠にて起工
     11月16日進水
1939年 4月15日竣工
1941年12月太平洋戦争に参加。第18駆逐隊に所属しハワイ攻撃、ラバウル攻略作戦などに参加
1942年 6月ミッドウェー攻略作戦に参加
      7月 5日キスカ湾外で米潜「グローラー」の攻撃を受け沈没
      7月31日除籍


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2015,06,20 First Up1998,10,25)