秋月型 駆逐艦

"Akizuki" Class Destroyers


秋月
駆逐艦「秋月」(昭和17年:公試中の写真)
春月
駆逐艦「春月」(昭和20年1月頃)
花月
駆逐艦「花月」(昭和19年12月頃)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
秋月
第71号(2015.10.13)
駆逐艦「秋月」1942年

スペックデータ
排水量:(公)3,470t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×3基 燃料搭載量:重油 1080t
全長:126.0m
全幅:11.6m 主機:艦本式オールギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:4.15m
出力:52,000hp
武装:
65口径10cm連装高角砲4基、25mm連装機銃2基、
次発装填付き61cm魚雷4連装発射管1基
最大速力:33.0kt
航続距離:18ktで8000浬
乗員定数:263名

同型艦名(12隻)
秋月"Akizuki"照月"Teruzuki"涼月"Suzutuki"
初月"Hatuzuki"新月"Niizuki"[Nîzuki]若月"Wakatuki"
霜月"Simotuki" 
(以降の艦は改秋月型(「冬月」型)に分類されることもある)
冬月"Huyuzuki"春月"Harutuki"宵月"Yoizuki"
夏月"Natuzuki" 
(以降の艦は改秋月型(「満月」型)に分類されることもある)
花月"Hanazuki" 

秋月型駆逐艦について
 1939年の第4次軍備計画から計画・建造された駆逐艦で、「陽炎」型の駆逐艦(甲)に対して駆逐艦(乙)と呼ばれた。
 航空機や潜水艦の性能向上により水上艦隊に対する空中や水中からの驚異度が高くなったことを受けて、対空・対潜兵装を充実させ航空母艦に随伴できる充分な速力を持つ艦として設計され、当初の艦種も「直衛艦」とされていたが魚雷兵装を追加し防空駆逐艦として完成したところはいかにも日本海軍らしい。
 しかし、分類上は駆逐艦とはいえ搭載兵装の充実やその運用にかかる人員を考慮した艦のサイズは軽巡洋艦「夕張」と変わらないほど大きくなってしまっている。
 搭載された10センチ高角砲は砲身も長く高性能であったが、連合軍の防空艦(たとえば米海軍の「アトランタ」型防空巡や英海軍の「ディド」型防空巡など)と異なり、対空レーダーや近接信管の開発が遅れていたため効果的な対空射撃は望めなかった。
 なお計画では改型も含め39隻の建造が予定されていたが、計画中止と終戦のため完成したのは12隻だけであった(当サイトでは完成した12隻のみを掲載した)。
 8番艦「冬月」から設計を簡略化し、水線下のラインを直線に改めたり高射装置を艦前部のみに減じたりしているため、「冬月」から11番艦「夏月」までを改秋月型や「冬月」型、さらに設計や船体構造材を簡易化・省力化された12番艦「満月」(未竣工のため当ページには掲載せず)以降の艦を「満月」型と呼称することもある。

秋月型駆逐艦の歴史
「秋月」「秋月」=秋の月。特に中秋の名月(旧暦8月15日)や
後の名月(旧暦9月13日)を指す。
1940年 7月30日舞鶴工廠にて起工
1941年 7月 2日進水
1942年 6月13日竣工
       8月〜南東方面に進出。ガダルカナル増援作戦等に従事
      10月南太平洋海戦に参加。敵機の攻撃を受け損傷
1943年 1月修理後、第十戦隊旗艦としてトラックへ進出
       1月20日ショートランド島沖で触雷、大破。応急修理後本土へ帰還(同年7月到着)
      11月〜修理完了の後、戦線復帰。トラック方面へ進出
1944年 1月第十戦隊旗艦となる
       2月リンガ泊地へ移動後、旗艦任務を「矢矧」へ引き継ぐ
       6月マリアナ沖海戦に参加
      10月25日比島沖海戦に参加。米潜水艦「ハリバット」の雷撃を受け沈没
      12月10日除籍
「照月」「照月」=照り輝く月。
1940年11月13日三菱長崎造船所にて起工
1941年11月21日進水
1942年 8月31日竣工
      10月南太平洋海戦に参加。敵機の攻撃を受け損傷
      11月第三次ソロモン海戦に参加
      12月11日ガダルカナル島輸送作戦に従事中、米魚雷艇群の攻撃を受け沈没
1943年 1月20日除籍
「涼月」「涼月」=さわやかに澄み切った秋の月。
1941年 3月15日三菱長崎造船所にて起工
1942年 3月 4日進水
      12月29日竣工
1943年 3月〜各種護衛・輸送任務に従事
1944年 1月16日ウェーク島輸送作戦に従事中、日向灘にて米潜「スタージョン」の攻撃を受け大破
「初月」に曳航され宿毛湾を経由し呉へ帰還
       8月〜損傷修理後戦線復帰。訓練任務や護衛任務等に従事
      10月16日台湾方面への輸送任務に従事中、都井岬沖にて米潜「ベスゴー」の雷撃を受け大破
      11月〜損傷修理後戦線復帰。護衛任務などに従事
1945年 4月 6日沖縄特攻作戦に参加。米軍機の攻撃を受け大破するも生還
       6月〜佐世保工廠で応急修理後、相浦のえびす湾に係留され防空砲台として使用され、
終戦を迎える
      11月20日除籍。若松港の防波堤として沈められる
(現在は埋め立てられており所在を確認はできない)
「初月」「初月」=新月のこと。特に陰暦八月の初めの月を指す。
1941年 7月25日舞鶴工廠にて起工
1942年 4月 3日進水
      12月29日竣工
1943年 3月〜各種護衛・輸送任務に従事
1944年 2月〜リンガ泊地に進出。護衛任務などに従事
       6月マリアナ沖海戦に参加
      10月25日比島沖海戦に参加。損傷により落伍した(生存者救助のため引き返したという説も
ある)が「敵艦隊と接触中」の無電発信を最後に消息不明となる。
(米軍の記録によると米水上艦艇の砲撃により沈没とある)
      12月10日戦没と認定。除籍
「新月」「新月」=文字どおり新月を指す。
1941年12月 8日三菱長崎造船所にて起工
1942年 6月29日進水
1943年 3月31日竣工
       6月〜第八艦隊に所属し、ラバウルへ進出
       7月 5日コロンバンガラ島輸送任務に従事中、遠距離から敵艦に向け魚雷を斉射。
米駆「ストロング」に命中、撃沈する
       7月 6日コロンバンガラ島沖にて、米艦隊の集中砲火を受け沈没。(クラ湾夜戦)
       9月10日除籍
「若月」「若月」=月齢2日・3日の細い月。
1942年 3月 9日三菱長崎造船所にて起工
      11月24日進水
1943年 5月31日竣工
       8月〜トラックに進出
      10月〜ラバウルに転戦
      11月11日第二次ラバウル空襲で被爆、中破
本土へ帰還後修理される
1944年 2月〜損傷修理後戦線復帰。リンガ泊地へ進出
       6月マリアナ沖海戦に参加
      10月比島沖海戦に参加
      11月11日レイテ島への船団護衛中、オルモック湾にて米軍機の攻撃を受け沈没
1945年 1月20日除籍
「霜月」「霜月」=陰暦11月の雅称
1942年 7月 6日三菱長崎造船所にて起工
1943年 4月 7日進水
1944年 3月31日竣工
       6月マリアナ沖海戦に参加
      10月比島沖海戦に参加
      11月25日ボルネオ西方にて米潜水艦「カヴァラ」の雷撃を受け沈没
1945年 1月10日除籍
「冬月」「冬月」=中天高くかかる冬の月。
1943年 5月 8日舞鶴工廠にて起工
1944年 1月20日進水
       5月25日竣工
       6月末〜輸送任務等に従事
      10月12日遠州灘で米潜水艦「トリパング」の雷撃を受け損傷
自力で呉に帰投し修理を実施(修理完了は11月18日頃)
      11月23日〜空母「隼鷹」を護衛してマニラまで往復
1945年 4月 6日沖縄特攻作戦に参加。生還する
       6月〜門司にて対空戦闘任務に従事
       8月20日ほぼ無傷で終戦を迎えるが、門司港内にて触雷、大破する
      11月20日除籍
1947年佐世保に回航、一部解体。船体は若松港の防波堤として沈められる
(現在は埋め立てられており所在を確認はできない)
「春月」「春月」=おぼろげに霞む春の月
1943年12月23日佐世保工廠にて起工
1944年 8月 3日進水
      12月28日竣工
1945年 1月〜内海で護衛任務に従事
       8月15日呉にて無傷で終戦を迎える
      10月 5日除籍。復員船として使用される
1947年 8月28日戦時賠償艦としてソ連に引き渡し
       9月25日艦名を「ヴネザーブヌイ」[Внезапный]と改名
1948年 4月〜修復工事を実施
       6月17日練習艦に類別変更。艦名を「オスコール」[Оскол]と改名
1950年代初頭ソビエト太平洋艦隊で訓練任務などに従事
1955年 1月 1日係留兵舎に類別変更
       3月12日艦名を「PKZ−65」と改名
       6月 2日標的艦へ類別変更。艦名を「TsL−64」と改名
1965年 9月18日係留兵舎へ類別変更。艦名を「PKZ−37」と改名
1969年 6月 4日ソビエト海軍除籍。後に解体処分
「宵月」「宵月」=宵の月。夕月と同じ意味
1943年 8月25日浦賀船渠にて起工
1944年 9月25日進水
1945年 1月31日竣工
       5月〜対馬海峡の護衛任務に従事
       6月 5日姫島灯台沖で触雷損傷
       7月24日呉に停泊中、米軍機の攻撃を受け小破
       8月15日終戦を迎える
      10月 5日除籍。復員船として使用される
1947年 8月29日戦時賠償艦として中華民国に引き渡し。中華民国艦「汾陽」[FenYang]と改名
ただし機関不調のため青島にて係留となる
1949年 2月国民党軍の本土脱出により台湾北部へ回航
      10月〜基隆(キールン)市に係留され練習艦隊の係留練習船となる
修理を実施するも完了させることはできなかった
1963年台湾海軍除籍。後に解体処分
「夏月」「夏月」=低い位置で輝く夏の月
1944年 2月10日佐世保工廠にて起工
      10月10日進水
1945年 4月 8日竣工
       5月〜内海で護衛任務に従事。六連灯台沖で触雷、小破
       8月15日門司にて終戦を迎える
      10月 5日除籍。復員船として使用される
1947年 9月 3日戦時賠償艦としてイギリスに引き渡されるが、国内で売却解体される
「花月」「花月」=桜の花が咲く月。陰暦3月を指す
1944年 2月10日舞鶴工廠にて起工
      10月10日進水
      12月26日竣工
1945年 1月〜内海にて任務に従事
       4月沖縄特攻にむかう戦艦「大和」を豊後水道まで護衛する
       8月15日屋代島(山口県)近海にて無傷で終戦を迎える
      10月 5日除籍。復員船として使用される
1947年 8月28日戦時賠償艦としてアメリカに引き渡し
米艦「DD934」と命名され性能調査を実施される
1948年 2月 3日調査終了後、黄海にて自沈処分となる


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