吉野型 防護巡洋艦

"Yosino" Class ProtectedCruisers


吉野
「吉野」(1893年頃)
高砂
「高砂」(1898年頃:Photo from Wikimedia Commons)
スペックデータ
排水量:(常)4,216t
(「高砂」は4,155t)
ボイラー:円罐・石炭専焼×12基
    (「高砂」は8基)
燃料搭載量:石炭 1000t
全長:109.73m
全幅:14.22m 主機:直立型往復動蒸気機関(4気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:5.18m
出力:15,900hp
(「高砂」は15,750hp)
武装:
「吉野」:40口径15cm単装砲4基、40口径12cm単装砲8基、
     47mm単装砲22基、36cm魚雷発射管5門
「高砂」:40口径20cm単装砲2基、40口径12cm単装砲10基、
     40口径7.6cm単装砲12基、47mm単装砲6基、
     36cm魚雷発射管5門
最大速力:23.0kt
(「高砂」は22.5kt)
航続距離:10ktで4000浬
乗員定数:360名
(「高砂」は380名)

同型艦名(2隻)
吉野"Yosino"高砂"Takasago"

吉野型防護巡洋艦について
 巡洋艦の装甲の薄さを補うため速力の大幅な向上を図り、機関には最新の技術を導入して「浪速」型「松島」型の倍以上の出力を得たのがこの「吉野」型巡洋艦である。
 そのため従前の巡洋艦が速力17ノット前後であったのに対し、「吉野」型は水雷艇と同等の23ノットを発揮することができた。この速力は当時の巡洋艦としては世界最高速で、これを上回るものは日清戦争後まで現れなかった。さらに装備している砲はそれまでの経験から威力は大きいが発射速度の遅い大口径砲ではなく、発射速度が速く連射性に優れたイギリスのアームストロング社製速射砲を採用している。
 このように当時の世界最高水準の巡洋艦であった「吉野」は建造をイギリスに発注され、完成後その回航・到着時期が日清戦争開戦日を決める要素になるほど日本海軍で大きな地位を占めた。また「吉野」が優秀であったため日清戦争後に同型艦「高砂」が同じ造船会社から購入された(設計は両艦とも英国の設計技師フィリップ・ワッツ[Sir Phillip Watts]が行った)。しかし「吉野」と「高砂」は排水量や兵装が異なっている。これは「高砂」が「吉野」の設計に準じて発注建造されたものではなく、アームストロング社で建造されていた艦を購入したからであり、そのため両艦を同型艦としていない資料もある。
 日露戦争でも両艦の活躍が期待されていたが、残念ながら「吉野」は濃霧のなか僚艦「春日」と衝突事故をおこし沈没、「高砂」も旅順港外で触雷沈没してしまっている。

吉野型防護巡洋艦の歴史
「吉野」「吉野」=奈良県中央部にそびえる大峰山脈の一部を指す吉野山から取った名称
1892年 3月 1日イギリスのアームストロング社で起工
1892年12月20日進水
1893年 9月30日竣工後、日本へ回航
1894年常備艦隊に所属し、日清戦争に参加
      7月25日豊島沖海戦に参加
      9月17日黄海海戦に参加
1898年 3月21日二等巡洋艦に類別
1904年第一艦隊に所属し、日露戦争に参加
      5月14日山東角沖にて装甲巡洋艦「春日」と衝突、沈没
1905年 5月21日除籍
「高砂」「高砂」=兵庫県南部、加古川の河口にある都市名
1896年 5月29日イギリスのアームストロング社で起工
1897年 5月17日進水
1898年 5月17日竣工後、日本へ回航(8月14日横須賀へ到着)
1900年義和団の乱(北清事変)勃発。
警備のため芝罘(チーフー)、山海関(シャンハイグァン)、大沽(タークー)方面へ派遣
1902年イギリスのエドワードZ世即位戴冠式に参加するために渡英
その後、ヨーロッパ歴訪をおこなう
1904年第一艦隊に所属し、日露戦争に参加
      2月 9日旅順港沖で座礁していた露汽船「マンチュリー」を拿捕
(「マンチュリー」はその後工作艦「関東」として日本海軍に所属した)
      8月10日黄海海戦に参加
     12月13日旅順港外で触雷、沈没
1905年 6月15日除籍


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