八十島型 軽巡洋艦

"Yasosima" Class LightCruisers


八十島
軽巡洋艦「八十島」(中華民国海軍「平海」時代のもの。1936年頃:Photo from Wikimedia Commons)
五百島
海防艦「五百島」(中華民国海軍「寧海」時代のもの。1932年頃)
スペックデータ(改装(昭和19年)後)
排水量:(基)2,200t ボイラー:艦本式・重油専焼×5基(「五百島」は4基) 燃料搭載量:不明
全長:106.7m
全幅:11.95m 主機:往復動蒸気機関(三段膨張式)×2基、2軸推進(「五百島」は3基、3軸推進)
吃水:4.0m
出力:7,448hp
(「五百島」は9,500hp)
武装:
45口径12cm単装高角砲2基、25mm3連装機銃5基
最大速力:21.0kt
(「五百島」は22.0kt)
航続距離:12ktで5,000浬
乗員定数:361名

同型艦名(2隻)
八十島"Yasosima"五百島"Iosima"

八十島型軽巡洋艦について
 元は中華民国海軍所属の軽巡洋艦「平海[Pinhai]」「寧海[Ninhai]」であるが、1937年(昭和12年)の日華事変中に日本海軍航空部隊の攻撃を受け揚子江岸に擱座していたものを日本海軍が捕獲、浮揚後に日本本土へ曳航し放置されていた。
 しかし太平洋戦争の戦局が傾きだした1943年(昭和18年)末に両艦を海防艦兼輸送艦として改装することが決定し、播磨造船にて整備され艦籍に編入された。
 最初は海防艦として日本海軍艦籍に編入されたが、1944年9月25日付けで二等巡洋艦に類別変更されている。なお「五百島」はその直前に戦没していたため二等巡洋艦への類別変更は行われていない。

八十島型軽巡洋艦の歴史
「八十島」「八十島」=多くの島々を意味する古語。特定の地名を指す言葉ではない
1931年 7月 9日中国上海の江南造船渠にて中華民国軽巡「平海」として起工
1935年10月 8日進水。進水後日本へ回航、播磨造船にて艤装工事を行う
1936年 6月18日竣工
1937年 9月23日日華事変で日本海軍機の攻撃を受け浸水擱座。日本軍に捕獲される
1938年浮揚後、日本本土へ回航。佐世保に係留され海兵団の居住用ハルクとして使用
1938年 7月艦名を「見島」と命名
1943年末(44年1月説あり)呉工廠にて整備工事に着手
1944年 6月 1日艦籍に編入、海防艦に類別。艦名を「八十島」と改称
      6月10日整備工事終了。基地内での移動などに使用
      9月25日二等巡洋艦に類別
     10月15日佐世保工廠にて輸送船団旗艦としての改装工事を実施
     11月15日改装工事終了。第一輸送戦隊旗艦としてフィリピン方面へ出動
     11月25日ルソン島西岸にて米艦載機の雷撃を受け沈没
1945年 1月10日除籍
「五百島」「五百島」=「八十島」と同様に多くの島々を意味する古語。
特定の地名を指す言葉ではない
1931年 2月20日播磨造船にて中華民国軽巡「寧海」として起工
     10月10日進水
1932年 7月31日竣工
1934年 6月 5日中華民国海軍練習艦隊に編入。東郷元帥国葬参加のため横浜へ派遣
1937年 9月23日日華事変で日本軍の攻撃を受け浸水擱座。日本軍に捕獲される
1938年 6月浮揚後、日本本土へ回航
      7月11日艦名を「御蔵」と命名
     12月〜播磨造船にて改修工事を開始
1944年 6月 1日艦籍に編優、海防艦に類別。艦名を「五百島」と改称
      6月28日改修工事終了。日本近海での船団護衛などに従事
      9月19日御前崎南方にて米潜水艦「シャド」の雷撃を受け沈没
     11月10日除籍


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