装甲巡洋艦 八雲

ArmoredCruiser "Yakumo"


八雲
装甲巡洋艦「八雲」(1905年頃)
スペックデータ(竣工時)
排水量:(常)9,695t ボイラー:ベルビール罐・石炭専焼×24基 燃料搭載量:石炭 1300t
全長:124.65m
全幅:19.57m 主機:直立型往復動蒸気機関(4気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:7.24m
出力:15,500hp
武装:
45口径20.3cm連装砲2基、40口径15cm単装砲12基、
40口径7.5cm単装砲12基、47mm単装砲12基、
45cm魚雷発射管5門
最大速力:20.5kt
航続距離:10ktで7000浬
乗員定数:648名

同型艦名(1隻)
八雲"Yakumo"

装甲巡洋艦 八雲について
 ロシアとの対立が悪化の一途をたどり、海軍の拡張を急務とした海軍は戦艦六隻と巡洋艦四隻からなる海軍拡張計画を1895年に策定した。このうち戦艦はすでに建造中の「富士」型二隻と新造艦の「松島」型四隻があり、これに加えて巡洋艦四隻を建造することとした。
 計画当初7500トンクラスの防護巡洋艦を予定していたが、世界各国の趨勢から舷側に装甲を施した1万トンクラスの装甲巡洋艦の建造へと計画変更された。この装甲巡洋艦という艦種は、諸外国ではあくまでも装甲化された巡洋艦であり、通商破壊や護衛索敵任務が主であったが、日本海軍では日清戦争での戦訓から巡洋艦を戦艦部隊の補助戦力として考え、対艦戦闘を重視した設計を採っていた。
 この時の拡張計画は二段階に分けられ、まず第一段として戦艦一隻(「敷島」)と装甲巡洋艦二隻(「八雲」・「吾妻」)を発注することが決められた。
 だが、いつもイギリスばかりに発注していては外交上問題があるとして、戦艦はともかく補助艦艇である巡洋艦は他の国にも発注したほうが良いという意見もあり、この「八雲」はドイツへ発注することになった。発注先企業は過去に清国戦艦「鎮遠」を建造したフルカン造船所であった。
 完成後は日露戦争と第一次世界大戦に参加したが、その後旧式化したため少尉候補生の練習艦としてハワイや北米へ遠洋航海を行っている。太平洋戦争でも内海において練習艦として使用されていたため終戦まで生き残り、戦後も特別輸送艦として復員輸送に従事してから解体された。
 終戦に際して解体処分されるときに艦長室などのドイツ製豪華調度品を中国に返還する砲艦「逸仙」(日本名は雑役船「阿多田」:昭和13年に捕獲)へ移したことが記録に残っている。

装甲巡洋艦 八雲の歴史
「八雲」「八雲」=重なり合う瑞雲を指す言葉で、素戔嗚尊(すさのお)が
八岐の大蛇を退治したときに詠んだ歌にも記されている
1898年 9月 2日ドイツのフルカン造船所にて起工
1899年 7月 8日進水
1900年 6月20日竣工。日本へ回航。同年8月30日横須賀へ到着
1904年第二艦隊第二戦隊に所属し、日露戦争に参加
1905年 5月27日日本海海戦に参加
      7月第三艦隊旗艦として樺太占領作戦に参加
1914年〜第二艦隊に所属し、第一次世界大戦に参加。青島攻略戦に参加。艦砲射撃を行う
     10月〜独東洋艦隊追跡のため、南遣艦隊へ増派される
1921年一等海防艦に類別。少尉候補生練習艦として使用される
1931年 6月 1日海防艦に類別
1936年11月 6日南太平洋にて練習航海中、前部弾薬庫の爆発事故により損傷(4名殉職)
1942年 7月 1日一等巡洋艦に類別。瀬戸内海で兵学校生徒の練習艦として使用
1945年10月 1日終戦。海軍解体のため除籍。特別輸送船となる
1946年6月まで復員輸送に従事。翌年解体処分


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