巡洋艦 畝傍

Cruiser "Unebi"


畝傍
竣工直後にフランスで撮影された「畝傍」
スペックデータ
排水量:(常)3.615t ボイラー:円罐・石炭専焼×9基 燃料搭載量:石炭 700t
全長:98.0m
全幅:13.1m 主機:直立斜動型往復動蒸気機関(2気筒2段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:5.72m
出力:5,500hp
武装:
35口径24cm単装砲4基、35口径15cm単装砲7基、
57mm単装砲2基、25mm4連装砲10基、11mm10
連装ガトリング砲4基、36cm魚雷発射管4門
最大速力:18.5kt
航続距離:不明
乗員定数:約400名

同型艦名(1隻)
畝傍"Unebi"

巡洋艦 畝傍について
 「浪速」と同時期にフランスに発注された巡洋艦。「浪速」に比べると帆走を併用するなど、やや前時代的ではあるが備砲は強力であった。
 しかし完成後日本へ回航する途中で立ち寄ったシンガポールを出港後に行方不明となった。暴風雨に巻き込まれたのでは?とか艦内から出火したのではないか?、はては海賊に襲われた?や絶海の孤島に漂着した?などの冒険小説ばり物まで諸説があるが、数ヶ月にわたる捜索にもかかわらず遺留品一つ(もちろん乗組員も)発見されず原因は現在に至るまで不明である。日露戦争の頃はロシアに捕獲され塗り替えられた「畝傍」がバルチック艦隊に紛れているとの噂まで飛びだした。日本海軍七十有余年の歴史で平時に行方不明未発見となった軍艦は当艦だけであるため日本海軍史を扱う書籍の中には海軍十大事件の一つとしてカウントしているものも見受けられる。現在では南シナ海にて台風(熱帯低気圧)に遭遇し、過大な兵装や三本マストなどによる復原性不足から転覆沈没したのであろうとの説が有力視されている。
 日本海軍はこうした軍艦の回航には保険をかけていたので、この損失にも124万5千3百円の保険金が下り、この資金で改めてイギリスに巡洋艦「千代田」の建造を発注して代艦の確保をおこなっている。

巡洋艦 畝傍の歴史
「畝傍」「畝傍」=奈良県にそびえる畝傍山から取った。香具山・耳成山とともに
大和三山として有名。神武天皇創国の際に皇居橿原宮を定めたと伝えられる。
1884年 5月17日フランスのF・シャンチェ社にて起工
1886年 4月 6日進水
     10月18日竣工。仏ル・アーブルから日本へ向けて出航する
     12月 3日回航途中、シンガポール出航後に行方不明となる
1887年10月19日亡失として認定。除籍される


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