巡洋艦 筑紫

Cruiser "Tukusi"


筑紫
巡洋艦「筑紫」(1888年)
スペックデータ
排水量:(常)1,350t ボイラー:円罐・石炭専焼×4基 燃料搭載量:石炭 300t
全長:64.01m
全幅:9.75m 主機:横置還動型往復動蒸気機関(2気筒2段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:4.11m
出力:2,887hp
武装:
25口径25.4cm単装砲2基、20口径12cm単装砲4基、
17口径7.6cm単装砲1基、7.5cm単装砲3基、
37mm5連装砲4基、36cm魚雷発射管2門
最大速力:16.4kt
航続距離:不明
乗員定数:177名

同型艦名(1隻)
筑紫"Tukusi"

巡洋艦 筑紫について
 元はイギリスで建造されていたチリ海軍所属の鋼鉄製巡洋艦「アルツーロ・プラット」[Arturo Plat]であるが、建造中の本艦を売却することとなったので、清国に対抗するため海軍力の増強を図っていた日本海軍が買い入れたものである。
 当時チリ海軍が英国アームストロング社に発注していた巡洋艦は三隻あったが、チリ政府の財政上の理由から契約破棄されたため同社は日本と清国両国へ購入を打診、清国が二隻、日本が一隻を購入した。奇しくもこの姉妹艦は日清戦争で敵味方として刃を交える事となった。
 ちなみに現在福岡県地方で使用されている地名『筑紫』(例:福岡県筑紫郡、博多駅筑紫口など)は”ちくし”と読むが、当艦名に使用されている古い地名の場合は”つくし”と読む。

巡洋艦 筑紫の歴史
「筑紫」「筑紫」=古い国名。広くは九州全体を指し、狭義には筑前と
筑後を合わせた国名。現在の福岡県地方。
1881年チリ海軍の発注した「アルツーロ・プラット」として英国アームストロング社で起工
1883年建造中に日本海軍が購入、竣工後日本へ回航。同年9月横浜へ到着
1894年常備艦隊に所属して、日清戦争に参加
1895年 1月30日威海衛夜襲に第三遊撃隊指揮艦として参加
1898年 3月21日砲艦(一等砲艦)に類別
1900年北清事変(義和団の乱)発生のため、アモイ、シャンハイの警備に従事
1904年第三艦隊第七戦隊に所属して、日露戦争に参加
1906年 5月25日除籍。雑役船となる
1911年12月廃船。翌年売却


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